昭和100年へ 中森明菜、復帰後初インタビュー ファンに支えられ、恩返ししたいと走り続けた昭和の歌姫「皆さまに喜んでいただきたくて一生懸命でした」
昭和100年にあたる2025年へ、サンケイスポーツは昭和を彩ったエンターテインメントやスポーツの人物、トピックスにスポットを当て、令和の現代に繋がるものを探る大型企画をスタートする。トップバッターは歌手、中森明菜(59)。昭和57(1982)年にデビューし、瞬く間に時代を象徴する歌姫に。一昨年8月の復帰宣言後初めてインタビューに応じ、ファンに支えられて過ごした激動の日々を振り返った。2回に分けて掲載する。(取材:古田貴士、取材協力:HZ VILLAGE Inc.) 【写真11枚】レコーディングでお茶目な笑顔を見せる香取と明菜 体調不良から復帰し、今年7月のファンクラブイベントで6年半ぶりにファンの前で生歌唱。 「とにかく『緊張!緊張!緊張!』でした。年齢も重ね経験も増えているはずなのに、人って緊張して胃が痛くなるんだなぁ、としみじみと感じました(笑)」と率直な感想を明かした。 「でも、ファンの皆さまが温かく迎えてくださって、終わる頃には『え~!もう終わっちゃうの?まだまだやっていたい!』なんて、わがままにも思っておりました」と告白。「本当に本当にいつも見守ってくださっているファンの皆さまのおかげです」と感謝した。 デビューから怒涛の日々を駆け抜けた「昭和」も感謝の連続だった。 「振り返ってみると、ファンの皆さましか頭にない時代でした。もちろん今もファンの皆さまに支えられておりますが、当時の私はファンの皆さまに喜んでいただきたくて一生懸命でした。私は言葉で説明するのが苦手ですので、うまく伝えることができていたか自信はありませんが、とにかく皆さまに喜んでいただきたい、そして、心配をかけないように、と思いながら日々を過ごしておりました」と明かす。 昭和57(1982)年5月1日、16歳の時に「スローモーション」でデビューし、圧倒的な歌唱力、美貌で反響を呼ぶと、その2カ月後に発売した「少女A」が大ヒット。小泉今日子(58)、松本伊代(59)ら多くのスターを生み出した「花の82年組」の中でも大きな注目を集め、瞬く間に昭和を代表する歌姫に上り詰めた。 当時の思い出を聞くと、「デパートでの握手会やサイン会などのキャンペーンイベントが印象に残っております。ビール箱を4段ほど重ねて、布をかけて、その上に立って(笑)」と懐かしげ。「福岡や秋田や北海道など初めての場所へお伺いすることは、10代の私にとっては緊張と不安が入り混じる状態だったのですが、そこで出逢った皆さまの直のお声を今でも思い出します。『ずっと応援しているから』と温かいお言葉をいただいたこと、握手から情熱を伝えていただいたこと、歌手としての実感が芽生え、その後の原動力につながっていったと感じます。当時の私は(おこがましくも)売れたい!とは思っていなかったのですが、お声掛けくださった皆さまのために、もっと頑張らなきゃと思うようになっていきました」と振り返る。