「プロレスは天職」“女子プロレス界の横綱”里村明衣子さんが語る30年のレスラー人生 ふるさと新潟で見せる“最高の里村明衣子”
当時、柔道をやっていた里村さん。新潟市体育館で初めて見た新日本プロレスの試合に衝撃を受け、女子プロレスラーを目指しました。 「遊びたい気持ちはあるんですけど、今厳しい練習に耐えれば、いつかは絶対スターになるので見ていてください」 里村さんは当時を振り返り、「当時は本当に厳しかった」とつぶやきました。 それでも乗り越えられたのは… 「当時は外出も禁止でしたし、師匠の指導も厳しくて…今でもよく覚えています(笑)。でも、1つの夢があると何でも我慢できましたし、何でも乗り越えられましたね。今になっても別にあの時遊ばなくても、つかむものをつかんだので。何の後悔もないです」 ■師匠・長与千種 里村さんの当時の師匠は、配信ドラマ『極悪女王』で話題となっている長与千種さん。里村さんへの期待は大きかったようです。 長与千種さん(1995年のインタビュー) 「今は雑草ですから、雑草も踏まれて強くなって、絶対にいい花咲かせますから。あとは彼女次第ですね」 その思いにこたえるかのように、里村さんはけがや挫折を乗り越え、スター街道を駆け上りました。そして、2001年にはタイトルを奪取。一躍トップ選手に昇り詰めました。 しかし所属した団体『GAEA JAPAN』が2005年に解散。女子プロレス界に“冬の時代”がやってきました。そんなタイミングで、里村さんは拠点を仙台市に移し、『センダイガールズプロレスリング(仙女)』の立ち上げに加わりました。 「2005年は女子プロレス界は本当、一番下火になって。いろんな団体が解散し、選手がいなくなったときに仙台で団体(仙女)を始めた時は、もうそれこそみじめでしたよね。いろんなものが厳しかったです」 里村さんや後輩レスラーの活躍もあり、センダイガールズプロレスリングは徐々に人気団体になっていきました。 しかし、2011年3月11日でした… ■東日本大震災と“財産” 拠点である仙台市も大きな被害を受けた東日本大震災。プロレス興行はキャンセルが相次ぎました。道場も手放さざるを得なかったといいます。
【関連記事】
- 「時間的におかしいかなって」 夕方に子ども2人だけで「列車に乗りたい」? “違和感”を覚えたJR新津駅の駅員 とっさの判断で園児保護
- 「川底に沈んでいるワニらしき死骸を発見」との情報が 新潟にワニが生息しているのか?調べてみると…
- 「オウメとかアオウミとか… なんかおかしいな」“青海”が読めない不審な客 タクシーの配車係がとっさの判断 警察に通報し特殊詐欺防ぐ
- 「プロレスは天職」“女子プロレス界の横綱”里村明衣子さんが語る30年のレスラー人生 ふるさと新潟で見せる“最高の里村明衣子”
- 「おばあちゃんの命が危ない」田んぼに倒れた高齢女性が… 見つけた小学生が“とっさの判断” 救助活動し救急隊にバトンつなぐ