じつは「宝永の富士山大噴火」直前に、「南海トラフ大地震」が起こっていた…それを最後に富士山が決め込む「300年にわたる沈黙」
8月8日の日向灘におけるM7.1(震度6弱)の地震と、それに続く気象庁の南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)発表は、私たちに、地震国・日本に住んでいることを、あらためて認識させられる出来事でした。 【画像】新幹線の車窓からも見える…これが宝永火口です。近景と遠景で見る さて、日本一の高さを誇る富士山は、「いつ噴火してもおかしくない」活火山ですが、じつは、これまでの富士山の火山活動史は、大規模な地震と関連しあってきた可能性があります。もし、南海トラフなどの大規模地震が起こった場合、富士山の火山活動に影響を与えないのでしょうか? 折しも、今年の8月26日は、我が国で火山観測が始まった(1911年・浅間山)ことにちなみ、「火山防災の日」に制定されました。また、9月1日は「防災の日」でもあります。地震、火山噴火という、日本の国土とは切っても切り離せない自然現象への備えについて考えてみる、いい機会といえます。 富士山噴火の社会や生活に与える影響について、常々警鐘を鳴らしてきた、火山や地震を専門とする地球科学者で、京都大学名誉教授の鎌田浩毅氏が、その著書『富士山噴火と南海トラフ 海が揺さぶる陸のマグマ』で述べた、南海トラフと富士山の噴火との関連について、同書の解説からご紹介しましょう。 *本記事は、ブルーバックス『富士山噴火と南海トラフ 海が揺さぶる陸のマグマ』から、内容を再構成・再編集の上、お送りします。
宝永噴火にみる富士山と巨大地震の関係
平安時代前期の864年に、富士山は大噴火を起こした。富士山の歴史上、もっとも大量のマグマを噴出した貞観噴火である。そして、それに次ぐ大きな噴火が、江戸時代の1707年に起きた宝永噴火だった。これは現在までに富士山で起きた最後の噴火でもある。そしてこの噴火が、巨大地震によって誘発されたものだったのだ。 宝永噴火の直前に、太平洋で二つの巨大地震が発生した。 まず1703年に、元禄関東地震(M8.2)が起きた。この地震は南関東一円に大きな被害を与え、直後に起きた津波による死者を合わせると1万人以上の犠牲者が出たとされている。その35日後に、富士山は鳴動を始めた。 さらに4年後の1707年には、宝永地震(M8.6)が発生した(図「南海トラフ巨大地震の震源域と、それぞれにおける過去の発生事例」)。この地震こそは、約100年おきにやってくる南海トラフ巨大地震の一つである。 宝永地震の49日後、富士山は南東斜面からマグマを噴出し、江戸の街に大量の火山灰を降らせた。少し前の記事になるが、〈いま「富士山」が噴火したら…その「ヤバすぎる威力」と「凄まじい影響範囲」〉でも述べたように、火山灰は2週間以上も降りつづき、横浜で10センチメートル、江戸でも5センチメートルの厚さになった。灰は太陽を隠し、昼間でもうす暗くなったという新井白石による記録(『折りたく柴の記』)が残っている。