オミさんや青山さんの背中、工藤さんとの出会いと別れ。城福さんからの教え...汗と涙が詰まった名古屋・稲垣祥が描く数奇なキャリア【インタビュー2】
工藤壮人との出会い
大卒1年目から出場機会を掴み、甲府の3年間でリーグ戦計81試合に出場した稲垣は、2017年に広島へと移籍する。そこでも男として憧れる存在がいた。 「広島ではやっぱり青山(敏弘)さん。青山さんの隣で、その背中を見続けながら、プレーできたことは本当に貴重な経験でした。 もちろん同じボランチとして、あれだけの視野の広さ、パスの質などをすごく参考にさせてもらい、学ぶべきところも多いうえに、サッカーと向き合う姿勢や、人としてどうあるべきかなど、やっぱりアオさんにしか出せない味があって、重みがすごくあるんです。そういうところの生き様みたいなのは、格好良いなと、ずっと思っています」 さらにもうひとり、稲垣の心の中に刻まれた人物がいる。 「同期入団だった工藤壮人くん。工藤くんとはプライベートでも仲が良かったっていうのもありますが、兄のようにその背中を追っていました。工藤くんの姿勢は、自分のプロとしての指標になり続けています」 工藤壮人。その名を聞いて、2022年の残念すぎるニュースを思い出すサッカーファンは多いだろう。これまで多くのゴールを積み上げ、その人間性でも周囲を魅了してきたストライカーは、2022年10月、水頭症による訃報が伝えられたのだ。 「僕の中では本当にプロフェッショナルといえば工藤くんだし、しぐさや行動、姿勢を勉強することができた期間は、本当に宝物で、数多くのことが染みついています。どういう姿勢で練習に取り組んでいるのかとか、僕も工藤くんも試合に出られない時期がありましたが、そういう時にどういうメンタルで、どう過ごすのかなど、色々学ばせてもらいました。 それこそサッカーに関係ないコーヒーの淹れ方も教えてもらいました。僕がコーヒーにハマッたキッカケは工藤くんの家で飲んだ1杯のコーヒーがおいしすぎて、自分でも淹れるようになって、今ではうんちくを語るようにまでなっちゃいました。 だからあの一報を受けた時は、頭が真っ白になりました。言葉が出ない...初めて味わうような感覚でした...。 工藤くんのご家族とは今でも仲良くさせてもらっていまして、先日も名古屋に遊びに来てうちに泊まっていってくれたんです。すごく素敵な家族で今は前向きに、いろんなことを乗り越えて、ポジティブに進んでいられる。そういう面もやっぱりさすがだなって、改めて感じました」 運命とは時に残酷で、時に奇跡にも満ちている。今年5月6日の名古屋と広島の一戦。舞台は完成したばかりの広島の新拠点、エディオンピースウイング広島。ゲームは3-2で名古屋が勝利を飾り、稲垣は古巣を相手に貴重なゴールをマークした。この日は大切な1日であった。奇しくも工藤壮人の誕生日であったのだ。 「何かそういうのもやっぱりね...運命を感じるというか、工藤くんが見てくれていたのかなというのは感じたりしましたね。 そういう工藤くんとの出会いも今の自分の血となり肉となってくれている。そういうのは僕は本当にたくさんの人に恵まれながら、生きてきているかなと思います」 ■プロフィール いながき・しょう/91年12月25日生まれ、東京都出身。176・72㌔。大泉西ハリケーン―サウスユーベFC―FC東京U-15むさし-帝京高-日本体育大-甲府-広島-名古屋。J1通算317試合・35得点。日本代表通算1試合・2得点。名古屋の不可欠なボランチ。 取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)