オミさんや青山さんの背中、工藤さんとの出会いと別れ。城福さんからの教え...汗と涙が詰まった名古屋・稲垣祥が描く数奇なキャリア【インタビュー2】
プロの世界でも出会った尊敬できる人たち
通算137人目として、J1通算300試合出場を達成した名古屋の稲垣祥。 試合に絡めなかったFC東京U-15むさし時代、冬の選手権に出場するも思うような活躍をできなかった帝京高時代、10番を背負った4年時に2部リーグ降格を味わった日本体育大時代。様々な悔しさを味わいながら、逆境を撥ね退けてきた男は、プロ生活でも様々な出会いを果たしてきた。 【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「J歴代ベスト11」を一挙公開! 「プロの世界に飛び込んでからも、もちろんミクロに見ていけば全然順調ではなかったし、挫折を味わいながらやってきたなっていう印象はあります。ただ、学生時代と一緒で環境に恵まれた。そしてその環境を自分の力に変えていけたっていう点はあったと思います」 名古屋加入前には甲府で3年、広島で3年過ごしてきた稲垣にとって、両クラブでも忘れられない先輩や恩師たちとの巡り合いがあった。 「それこそ甲府の時であればオミ(山本英臣)さんがいて、そのプレーや、発言の一つひとつに重みがあり、いわば素人のような、プロに成り立ての僕は、多くを勉強させてもらいました。オミさんは試合中の振る舞い、発言、プレーどれも頼もしく、おどおどしていた自分は、あの人の背中を見るだけで、ちょっと安心できたり、自信を持てたりしました。 そして甲府での1年目の監督は、城福(浩)さん。城福さんからのひと言は毎回、重みがあり、自分の中で大切にしながら生きてきました」 城福監督ならではの言葉。それこそ印象的なフレーズが頭に刻まれている。 「オリジナルな言葉で色んなアドバイスをくれた城福さんの下でプロ1年目を過ごせたことは、僕の今のキャリアにつながっていますし、ここまで試合に出続けられた要因のひとつでもあると思います。 城福さんは僕の良さを出すことを常に意識させてくれ、最初のキャンプの際に『毎回100パーセントで練習して試合に臨む選手はいるけど、120パーセントでそれをやり続けられるやつはいない。この世界ですごく貴重で、お前はその存在だからこそ、その面を大切にしていけ』と言葉をかけてもらいました。 さらに本人は覚えていないかもしれませんが、城福さんのさりげない一言もすごく覚えています。例えばテクニカルなところだと、『ボールがあと半転がり分、自分のところに来るまで判断を待ってみろ。もう半転がりしたら、状況が変わるから、その半転がりを大切にしろ』とか、独特な言い回しが記憶に残るんですよね。 城福さんは試合前のミーティングで、毎回ホワイトボードに赤く大切なワードを書くんですけど、そういう言葉や熱量も記憶に残っていますし、試合中の振る舞いを含め、プロの世界のことを教えてくれた監督でもありました」