将棋会館で生まれたドラマの数々「迫るフィナーレ」~「将棋会館物語」後編
将棋の文化を未来へつなぐため、着々と進行している将棋会館移転プロジェクト。年内をもって旧将棋会館は役目を果たし終え、年明けから新将棋会館での歴史が始まっていく予定です。残り1か月となった今こそ、将棋会館の歴史に思いを馳せるときです。 本稿では前編に引き続き、2024年12月3日に発売された『将棋世界2025年1月号』(発行=日本将棋連盟、販売=マイナビ出版)より後編をお送りします。
(以下抜粋) 東京のJR千駄ヶ谷駅前には、新将棋会館のカフェや道場などが一体化した「棋の音」が既にオープンしているが、年内の対局はまだ旧将棋会館で行われる。引っ越し準備はすでに進んでいるので、2階道場や1階の販売部、それに3階事務室の大半はもう撤去されている。対局機能だけが、まだ旧将棋会館に残っている状況だ。 新将棋会館と旧将棋会館の間は徒歩5分ほど。駅前の一等地に立つ新将棋会館はファンと棋士の新しい交流を生み、新たなドラマをたくさん作ることだろう。2025年の初めには新将棋会館での対局が始まり、現在の将棋会館は静かにその歴史を閉じることになる。 将棋会館のメイン対局室は「特別対局室」と、「高雄」「棋峰」「雲鶴」の3部屋からなる大広間になる。そのほか4つの対局室「銀沙」「飛燕」「歩月」「香雲」は、メイン対局室の補助的役割をしていて、新進の若手棋士や女流棋士、そしてプロ公式戦以外の対局の場として使われることが多かった。とはいえ、それらの部屋でも歴史に残る対局はたくさんあったのである。その一幕をご紹介していこう。 ■千里の道も一歩から 羽生善治九段のプロデビュー戦が行われたのは1986年1月31日。対局室は将棋会館4階の「銀沙」だ。第36期王将戦一次予選の宮田利男六段戦である。 ご存じのように、羽生は史上3人目の中学生棋士であり、その強さは奨励会時代からうわさになっていた。とはいえ、それはあくまで棋界内部だけのこと。当日は私も対局の様子を見にいったが、新聞の観戦記がつくこともなく、写真誌が2誌撮影にきただけ。藤井聡太竜王・名人のデビュー時の騒がれ方と比べたら実におとなしいものだ。 当時は中原誠名人を始め、谷川浩司前名人・米長邦雄十段・大山康晴十五世名人・加藤一二三九段ら偉大な先輩棋士たちが棋界を大きく支配していた時代。そこに15歳の少年が飛び込んできたのは、驚きではあってもその少年がまさか歴史を塗り替えるような大棋士になるとは、誰も想像していなかったのである。 (中略) 後に羽生が通算千勝を達成したとき「最も印象に残る勝利はどれですか」と尋ねたことがある。羽生の返事はノータイムで「デビュー戦です」だった。 やはり、“千里の道も一歩から”ということなのだろう。 ■升田幸三、引退へ 「歩月」で歴史的な勝負があった。伝説の大棋士・升田幸三の引退がかかった三番勝負である。 1918年3月生まれの升田は、稀代のスター棋士として昭和の将棋界で圧倒的な存在感を示した。升田は8度も名人戦の挑戦者になり、名人を2期獲得したが、A級順位戦を8期休場している。「疲れたから休む」という言い分が、升田に関してだけは通ったのである。 1979年。61歳になっていた升田はこの年も順位戦の復帰を明言せず態度を保留していた。そのまま引退するのではないかという憶測も流れていた。そんな升田に当時の本誌編集長だった清水孝晏氏が「若手との三番勝負をやっていただけませんか」と持ちかけたのだ。 対戦相手は新進気鋭の若手だった、小林健二五段、青野照市六段、谷川浩司五段の3人。その誘いに升田は乗った。名目は「升田復帰記念の三番勝負」だったが、升田自身は「一番でも負けたら引退する。ファンに最後の姿を見せる」と決意していたようだ。 1979年4月5日に将棋会館「歩月」で指された小林健二五段戦は、升田の名局だった。その一節を倉島竹二郎氏の観戦記からご紹介しよう。 《指し始めて間もなく、米長邦雄九段が姿を見せた。大先輩升田九段に敬意を表して挨拶に来たのだった。 升田さんは振り向くと「米長君か。後光がさしているね」と微笑した。近来の米長さんの活躍ぶりを言い得て妙で、九段にはなる、棋王にはなる、そしてその際は名人戦で中原名人に二連勝だったので、米長さんは正に旭日昇天の勢いであったのだ。 米長九段は「一生懸命ぶつかるんだよ」と小林五段に云って姿を消す。その後、升田の弟弟子である大山康晴十五世名人も姿を見せ、升田の横に座ってその様子をじっと見ていた。》 (中略) 時には傍若無人ともいえる振る舞いをすることもあった升田だが、観戦記にもあるように、後輩棋士たちからは慕われていた。それだけその強さが認められていたのである。 この小林戦に快勝した升田だが、次戦やはり将棋会館の「歩月」で行われた青野照市六段戦は、いい将棋を勝ちきれず敗戦。最後の谷川戦を指すことなく引退を決めた。 (中略) 活躍が華々しかった棋士ほど引退を自分で決断するのは難しい。敗戦をきっかけに、すっぱり引退を決めた木村義雄十四世名人や升田の決断はそれなりに潔かった。思えば、将棋会館は多くの名棋士の引退劇も見守ってきた。その歴史もまた新しい将棋会館に引き継がれていくことになる。 (将棋会館物語 銀沙・飛燕・歩月・香雲編 升田が引退を決めた歩月、羽生がデビューした銀沙/【記】鈴木宏彦)
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