【毎日書評】福沢諭吉から名もなき野球選手まで、日常生活に活かす「哲学」のすすめ
名もなきピッチャーのことば
著者によればその野球選手は「だいぶ前にアメリカの大リーグで首位打者になった人」なのだそうですが、にもかかわらず、その名前が思い出せないというユルさがなんともご愛嬌。いずれにしても、その人がこう話していたのを「ビデオで見たことがある」というのです。 「バッターボックスに入ったらピッチャーの顔を見て、そうか、カーブで来るんだなと予測したら、もう迷ってはダメだ。 カーブが来なかったら空振りするだけのことさ。そのあと、次の球はまたカーブか、それとも直球か。 ピッチャーの顔を見て決めて、また思い切り振る。そうすれば、三回に一回はバットの芯に当たるよ。これで三割が確保される」(13ページより) 本当にカーブが来るかどうかはわからないけれど、カーブと決めたら迷わずそれを待つ。そのスタンスが、三割打者になる道だということです。 当然ながら相手側のバッテリーも、そんな打者の裏をかこうとするでしょう。しかしその大打者は、「そんなことは関係ない。一球ごとにピッチャーの顔を見て、『次は直球』と思えば、今度は直球を待つ。それが外れたら『残念でした』というだけのこと。統計に頼るより、一度決めたら迷わないほうが実戦では役に立つ」と話していたというのです。 これは非常に説得力のある話で、しかも野球だけではなくさまざまなことがらに当てはまるのではないかと思います。 彼のバッターとしての信念は「ストライクは必ず振る」だったそうだ。すると、三回に一回はバットの芯に当たるというのだ。 三回振って三回芯に当たることは所詮不可能だと心に決めて、振って、振って、振りまくればいつか必ず当たるというのだ。(14ページより) 逆にいえば、見逃しはいけないということ。なぜなら、見逃したら当たることがないのだから。当たるためには運も必要ですが、振らなければその運も来ないというわけで、そんな考え方のなかにも「哲学」があるということなのでしょう。(13ページより)