山で遭難「遺体で発見」よりも厳しいケースとは? 捜索のプロも沈痛「かける言葉がみつからない」
「本人じゃないかもしれない」と「本人であってほしい」という2つの気持ち
「なんで、見つからないんですか?」 私が最も聞かれる質問だ。この問いを受けた時、私は細かく丁寧に状況をお伝えするようにする。 これまで捜索を実施した場所と、まだ捜索ができていない場所を地図上に示し、あらゆる可能性を考えながら丁寧にお伝えすると、「ああ、じゃあ、もしかしたら、これから見つかるかもしれない」という希望を再び持ってもらえる。だからこそ私たち捜索隊は絶対に発見を諦めてはいけないし、常に次の策を考え続けなければならない。 遭難発覚から時間が経つと、これからの生活のことを考え始めるご家族もいる。そのため、要望もケースごとに大きく異なってくる。「まだまだ探してほしい」というご家族もいれば、「残された私たちの今後の生活のことも考えると、捜索費用の負担が大きいです」と言われることもある。また「本人の携帯を解約したいんですが、行方不明者の場合、解約ができなくて困っている」と実務的な相談を受けるようにもなる。 依頼を受けた捜索について、LiSSの方から打ち切りの判断をすることは決してない。なぜならこれまでも、もう探すところはないというほど捜索を行い、次の策が見つからないと思わされるところから遭難者を発見したこともあるからだ。どんなに時間がかかっても私たちは諦めない。 「1日や2日でご家族が見つかることは、ほとんどありません。捜索は長期化することが多いです」 依頼を受ける時、このことは必ず最初に伝えている。 ただ、遭難者が見つかるまで探し続けること、今後の生活の基盤を立て直すこと……。 目の前のご家族にとっての“出口”を考えることも、私の役割のひとつだと考えている。 遭難者が発見されると、それまで「生きているかどうか分からない」という曖昧だった状況が一変し、ご家族は「大切な人の死」の現実を突きつけられることになる。 「ご本人と思われるご遺体が見つかりました」とお伝えした時、「え……本当にうちの人ですか?」と反射的に戸惑いの言葉を発せられる方がほとんどだ。それまで「見つからない」という言葉を何度も何度も聞かされ、自分自身にも言い聞かせてきた。それが見つかったとなると、瞬間的に「よかった」よりも「見つかったって、どういうこと?」と困惑するようだ。「行方不明のままがよかった」と本音を漏らすご家族もいた。 遺留品やご遺体を前にするということは、ご家族にとっては「本当に亡くなってしまった」という現実に対峙することを意味する。そして、今度は大切な人の「死」を受け入れなければならないのだ。 行方不明から時間が経ち、ご遺体を発見できても、生前とはかけ離れた姿で見つかる場合も多い。ご家族は「本人じゃないかもしれない」と「本人であってほしい」という2つの気持ちの間で揺れ動く。それは、行方不明という事実を受け入れたご家族に再び、辛い事実を受け入れることを強いることでもある。それでも、私は、山中でご遺体を見つけたら、すぐにご家族に知らせたい。行方不明でどこにいるか分からない――そんな曖昧な状況から、ご家族を解放したいと思うからだ。 DNA鑑定や歯型などによる身元確認でご本人だと確定したとしても、ご家族が大切な人とのお別れを受け入れるまでにかかる時間は様々だ。遭難者が発見された後も、ご家族の苦しみが全て消えるわけではない。「他のご家族は、どうやって立ち直っていったんですか?」と聞かれたこともある。