異色対談 菅孝行が前明石市長・泉房穂に問う「変革への道筋」…「成功事例がないと誰も信用しない」
泉房穂氏といえば、前明石市長として大胆な市政改革を行い、今は政治状況への鋭い発信と、政界再編に向けた「仕掛け」で知られる現代のキーパーソン。彼には東大時代に恩師がいた。ラディカルな評論家で社会運動家でもある菅孝行氏だ。40年ぶりに再会を果たした師弟が、現代の政治闘争と社会変革の核心を語り合った──。(構成・倉重篤郎) 【写真】再逮捕された「美人すぎる寝屋川市議」の写真集全カット
貧乏とか差別にリアリティがあった
菅孝行学生のときの政治活動や寮闘争の経験が、あなたのように大人になって政治家になったときにうまく生きているのは、かなり珍しい例ですよ。だいたい学生時代にやったことは「これでは駄目だから」と言って、反省して、たいてい右に行く。 泉房穂そうなんですよ。 菅あなたの場合は左とも右とも言えない。そういう政治的な「向き」の問題ではないですね。 泉そもそも私は、右、左じゃなかったんですよ。皆さん、学生時代の挫折からいきなり右翼的に行く人が多いですが。 菅いきなり右翼的になるか、全部投げ出してサラリーマンの仕事専一になるか。観念の世界は大切にしたけれど、政治的には全然活動しなくなって研究者になるか。 泉そうそう。アカデミズムにこもってしまう。 菅もうひとつはメチャメチャ穏健になるか。いろんな人がいる。一応左派で活動している場合でも、党派をやめて無党派になったり、党派の活動をやりつつ、市民運動家の仮面もかぶっていたり。党派左翼の運動で火傷したおかげで、とにかく党派の政治が入ってくるのを嫌う人もいます。「市民運動家」と言われる人は、本当にピンからキリまでですね。そこを火傷じゃなくて糧にしちゃったというのは、非常に珍しい。 泉当時転向論が流行っていました。変わっていくことに対する批判も強かった記憶があります。私は弟が障害者だったことや貧乏漁師の倅が原点だから、その原点は変わらなかったんです。 菅その原点でちゃんと地に足をつけさせられている。というか、観念だけで動けないように、足を引っ張られている。そうすると、逆に現実に対する態度がしっかりしてくるところがあるのかもしれないですね。 泉まわりを見ていても、いいところにお生まれになって、親もしっかりしていると、どうしても頭でっかち競争になっちゃうんですけど、私はまわりが誰も大学なんて行ってない漁師町で、地べたを這ってましたから。親父とおふくろは小卒に中卒ですからね。親戚でいきなり初めて大学に行ったのが東大やから、まわりもビックリでしたよ。私には、貧乏とか差別というものにリアリティがあったから、逆に強かったんです。「自分が負けるわけにいかない」というかね。「行ってこい」と言われて大学に行き、東京に来た者としての使命を感じていましたから。