異色対談 菅孝行が前明石市長・泉房穂に問う「変革への道筋」…「成功事例がないと誰も信用しない」
石井紘基という「正義の政治家」
菅石井紘基さんは、どういう政治家でしたか? 泉当時の国会議員にしては珍しく、税金の使い道を必死に勉強して研究しているマニアックな方でした。そのスタンスは私はすごく好きで、「正義の政治家」と言っていいと思います。不正を許さず、弱者を救うという意味で。地下鉄サリン事件の被害者救済に走り回っておられましたし、被害者救済と不正を憎む気持ちは強かったと思いますね。それが2002年10月25日、東京・世田谷区の自宅駐車場で迎えの車に乗ろうとして、右翼活動家に刺殺されたんです。 菅あの事件には驚きました。その人の秘書をあなたがやっていたなんて、今度あなたが出した『わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇』(集英社新書)を読むまで、全然知らなかった。 泉私が秘書を務めたのは時期的にはズレてますけど、石井さんの著作『つながればパワー―政治改革への私の直言』(創樹社、1988年)に感動して手紙を書いたんです。そうしたら返事があって、「国会議員に立候補しようと思うんだけど、誰も手伝う人がいない」と言う。「私があなたを通してみせます」と言ったのが25歳のときです。 菅当時はまだ中選挙区制でしたね。 泉そうです。1990年2月18日投票の衆院選で、次点でした。僕は次の選挙まで頑張るつもりだったし、いずれ僕もという気持ちがあったんですが、石井さんに弁護士になることを勧められます。「君は政治家志望だけど、20代、30代で急いで手を挙げると、ろくな政治家にならない。いろんな体験を積んで40歳で政治家になった方がいい政治ができる」「多くの政治家を見てきたけど、みんな落選が怖くて、選挙民にビールをつぎ回ってる。そういう類いのが官僚出身に特に多い。ほんまの政治するためには落ちても大丈夫な状況を作れ。弁護士になっとったら家族も路頭に迷わん。騙されたと思って泉君、弁護士なりなさい。胸張った政治ができるから」と言われて、そんなもんかなと思って、わかりました言うて、司法試験を受けることに決めて、ゼロから勉強したんです。 菅言うは易しで、司法試験は大変だったでしょう。 泉苦労しました。石井さん騙しよってね、「泉くん、君は賢いから受けたらすぐ通るよ」と。だけどそんな簡単に通りません。昔の司法試験でしたから。私4回目なんですよ。ただ、それが私にとっては正解でした。本当に困ってる人のために尽くしました。市長選に出る時も「ついに泉が立候補してくれた」という感じで、市民団体や障害者団体は大挙して応援に来ました。「あの人は本当に体を張って、自分たちのために弁護士としてつながってくれた」いうのがありましたから。 菅結果的には石井さんのアドバイスは正しかったわけですね。 《つづきを読む》明石市は、社会を変える希望の原理となった…泉房穂、東大時代の「恩師」と語る
菅 孝行、泉 房穂