“この景色を目に焼き付けろ” 開けた全国への道~高校バスケ兵庫・報徳学園~
野球にサッカー、バスケットボールにラグビーなど・・・四半世紀以上、兵庫県の高校スポーツを取材してきた。 つまり、数多くのチームの“顔”、キャプテンを見てきた。 リーダーには、色んなタイプがいる。 その時々で指導者または選手がベストという選択をし、1年間組織として動いていく。 そして、競技によって時期は異なるが、夏・秋・冬、それぞれ勝負の結果が出る。 黙々とプレーで、背中で引っ張る者、言動でも行動でもリーダーシップを発揮する者・・・ どれが正解という話ではない。 2024年の報徳学園バスケット―ボール部キャプテン、宮薗 遼。 私が取材する限り、間違いなく後者である。
遡ること、約1年前―。 3年生にとっては集大成の場となるウィンターカップ兵庫県予選の決勝。 県内三冠を目指す報徳と、中学時代に全国制覇を経験した選手を多数擁する育英の一戦は、 ラストワンプレーまで結末がわからない白熱の展開に。 68-67。 わずか1点差で育英が、6年ぶりの王座奪還を果たした。 最近の表彰式では、男女の優勝チームがコートの中央に立ち、金テープを浴びるシーンが 恒例となっている。 昨年は、育英の選手たちが、女子優勝の三田松聖の選手たちとともに、歓喜の瞬間を迎えていた。 私は、放送席で激闘の余韻に浸っていた。 その時―。 「来年これを見んようにするぞ!勝った育英を称えるぞ!」 当時2年生の宮薗遼は、コートの端で、北村優光や福本有都といった涙を流す同級生に対して叫んでいた。 「悔しくて、僕も本当は泣きたい気持ちがありました。でも、あの瞬間から僕たちの代は始まったと思ったので、この景色は目に焼き付けなければならないと。しんどい時に、絶対にモチベーションになると感じて、 全員で顔上げて”ちゃんと見ろ”って、気づいたら仲間に言っていました」 そして、心に誓った。 “絶対に誰よりも努力して、この舞台に戻って優勝するー” 周囲の予想通り、キャプテンとなった宮薗は、精力的に動いた。 練習中に、満面の笑みを見せることはほとんどない。 部員75人という大所帯で、一人一人と細かいコミュニケーションを取り、 常に練習の開始前・終了後にミーティングを実施し、 その都度、何を目指しているのかを明確にしてきた。 新人戦を制し、インターハイでは全国ベスト8入り。 それもすべてはウィンターカップへの通過点と捉え、夏場以降、 細かい基礎の部分をおろそかにせず、1段階2段階と強化の度合いを上げた。 宮薗自身も、個人練習では、得意技の3Pシュートに加え、 課題だったフローターシュートなどのスキルアップにも取り組んできた。 2024年11月3日、決勝。相手は、因縁の相手・育英―。 リベンジの時が、やって来た。 開始56秒、宮薗の3Pシュートが決まり、チームは一気に勢いづく。 「体の状態は6割くらいでした・・・」 実は、予選直前に、右肩を負傷(腱板炎)。初戦・明石南戦は欠場し、前日の3P成功率はゼロ。 サポートテープが欠かせない状況であった。 しかし、宮薗には、兵庫県で3年間、一番努力をしてきたという自負があった。 40分間、その思いが大きな支えになった。 決勝戦の個人成績は、10得点。 3Pシュート成功3本。 「いいんです、自分のスコアは。極端に言えば、僕は0点でもいい。この試合は、勝つことだけがすべてだったので」 64-62。 その執念は、結実した。 1年前、1点差に泣いた報徳学園が、今年は2点差で笑った。 気が付けば、“あの景色”の中心に自分がいた。 金のテープが片付けられたあと、彼に近づくと、 いつも通り、表情は崩さず、きっぱり語った。 「本当にブレずに努力をしてきてよかった。バスケを通して、信念を貫き通すことを学びました! 最高です」 そして、別れ際、サポーターテープを巻いたまま、ニコっと初めて笑顔を見せてくれた。 高校生活、最後の冬―。 全国の舞台で、果たして宮薗は“どんな景色”を目に焼き付けてくるのだろうか。 それが、仲間の笑顔であることを切に願う。 (すべて敬称略) (湯浅明彦)