「京大VS吉田寮生」退去迫られた院生たちの絶望 老朽化を根拠にする大学、大学自治掲げる院生
これを受けた大沼さんたちは、「私たちは、大学が話し合いのテーブルにつけば現棟からは退去するという譲歩案を出したのですが、大学は聞く耳を持たず訴えてきました。訴えられたのは残念で、ショックでしたね」と語る。 ■経済的な余裕がない院生にとって大事な場所 大沼さんは、2018年度の後期以降に合計2年の休学をして、アルバイトや、寮の存続のための活動に時間を費やした。また就職活動をして7回生で内定も得たが、卒業後は大学院の修士課程に進学することを決意する。
それは、寮を守る活動とも、関係があった。 「必要に迫られて吉田寮の歴史を調べ、昔の資料を読み込んでいくうちに、大学やそこで学ぶ学生の自治や運動に関する歴史をもっと学びたい、研究したいという気持ちが芽生えてきました。 1925年に治安維持法が公布されるなど、1920年代に大学の思想統制が強まり、1930年代後半になると学術動員や学徒動員へと進んでいきます。そういう状況の中でも大学には自治の観点があり、政府や文部省も必ず一枚岩ではありませんでした。
戦前期の日本における大学自治がどのように意識され、その中で学生の自由や自治はどのように考えられていたのかをテーマにした修士論文に取り組みました」 修士課程に進学して大沼さんが感じたのは、経済的な余裕がない修士の院生にとって、寮での暮らしは助かる場面が多いということだった。 「修士課程への進学当初はわからないことばかりなので労力もかかりましたし、自分でテーマを決めて調べていかなければならないので時間がとても必要でした。最初から要領よく進めていくことができる人はほとんどいないと思います。研究に割く時間が切に必要でありながら、修士の院生は経済的にも厳しい環境にある人が少なくないように感じています。
私も研究に加えて、アルバイトの疲労や裁判とも向き合ってきて、驚くほど時間がありませんでした。修士論文を書いている時期はアルバイトも減らし、学部時代に作った貯金を食い潰し、知人にお金を借りてやりくりしました。もし寮がなかったら、修了に至らなかったと思います」 大学院に進学する学生が減少傾向にあるのは、経済的負担の大きさも背景の1つだ。 大学が入学者に対して「入寮禁止」の文章を配るこの5年ですら、経済的な理由によって、吉田寮へ入寮する、修士課程の院生は少なくなかった。大沼さんは、寮での交流も重要だと感じている。