世界遺産「熊野古道を行く」山麓から180町の町石道を歩く
町石を数えながら歩く
町石とは、弘法大師がこの道沿いに建てた卒塔婆(そとうば)に由来すると言われています。五輪塔の形をしたかなり大きな石柱で、根本大塔(こんぽんだいとう)を起点とした距離を示す数字と、仏尊を表す梵字が刻まれています。一町は、約109mなので、わりとすぐに次の町石が現れます。 丈夫そうな石塔も年月が経つうちに壊れることがあるようで、修復の跡のあるものもあれば、新しく作り直したのか、いろんな時代のものが混在しています。比較的新しいものは数字が読めるのですが、古い時代のものと思われる草書体などは読めないものも……。 森の中をしばらく進み、147町を過ぎたあたりの道の脇に石仏が佇んでいました。 祀られているのは、弘法大師空海。この石像を拝むと「遠く御廟(ごびょう)を望む」と言われているそうです。また、昔は毎年旧暦3月21日(空海入定の日)には、地元の村の有志たちが高野詣の参拝者におむすびや湯茶をふるまったそうで、ここは「接待場」と呼ばれています。
「高天原」と呼ばれる美しき天野の里へ
137町を過ぎた六本杉峠から、いったん町石道をはずれて天野の里へと下ります。町石道は、距離約21km、休憩を含まない標準的歩行タイムは7時間ほど。もちろん健脚な人なら一日で踏破できるのですが、遠方からだと前泊か後泊が必要。今回は、天野の里で一泊し、二日間で歩く計画にしたのです。 標高約450m。四方を山に囲まれた隠れ里のような天野。のどかな田園風景が広がり、「にほんの里100選」にも選ばれています。 随筆家としても知られる白洲正子さんが、取材でこの地に立ち寄ったとき、あまりの美しさに感動したそうです。この里の中心的存在として鎮座しているのが、紀伊国一之宮で、世界遺産にも登録されている丹生都比売神社。弘法大師はこの神から社領を預かって、高野山を開いたとされています。 鳥居をくぐると、池のほとりに大きな太鼓橋があります。かなりの傾斜ですが、階段がついているので安心して渡れます。大きな木々に囲まれた中に本殿があります。どっしりとした存在感がある檜皮葺の入母屋造、室町時代中期の建物だそうです。 こちらにも、夏越の祓いの茅の輪がありました。パワースポットとしても知られているそうで、いつ来ても多くの参拝者で賑わっています。 色鮮やかなバラが水に浮かべてありました。さて、今宵お世話になるお宿へ向かいましょう。ご先祖が、丹生都比売神社の宮大工だったというオーナーさんが切り盛りする一棟貸しのお宿「南峰庵」です。 オーナーさんの祖父の家で、朽ち果てていた建物をリノベーションして、小ざっぱりとしたお宿に改装。地元産の食材にこだわった食事の美味しさでも定評があります。いつ来ても、季節感のある美しいお料理に癒されます。 心尽くしの美味しい料理をいただいて、明日のためにしっかりと休むことに‥‥‥。「弘法大師も通った高野山への道! 山麓から180町の【町石道編】」へ続く。
根岸真理