村田諒太に勝った38歳元プロボクサーが東京五輪狙い16年ぶりアマ復帰し歴史的勝利!「普通のおじさんじゃなかった」
佐藤は、引退後、第二の人生を迷走してきた。大学院に通い直してスポーツカメラマンを志し、挫折すると、海外留学を経てマンションを売る不動産会社に就職したが、それも長くは続かなかった。4年前に知子夫人と結婚、長男の大吉君を授かり、世界的なVIPを警護する警備会社に就職したが、ずっと燃え尽きることのない”残り火”が燻っていた。 「プロの世界戦ではシュトルムのパンチは見えなかったんです。でも、もっと悔しかったのは、シドニー、アテネ五輪出場を後一歩で逃がしたこと。あそこで出ていればプロ転向もしていなかったと思うんです。山根さんの騒動があってプロアマが解禁されました。そして日本、東京で五輪があるんです。今、やるしかない、と」 人生にケジメをつけるため会社を休職してまで異例の挑戦を決断したのである。 だが、感激にひたっている時間はない。次戦の関東ブロック大会を優勝し、やっと11月の全日本選手権への出場権を得る。そこで優勝すれば、東京五輪予選に出る日本代表に選出される方向だが、さらに来年1月から始まる五輪アジア予選、5月の世界最終予選の2度のチャンスを勝ち抜かねば五輪出場は果たせない。開催国枠は4枠あるが、他階級がどれだけ自力で五輪切符を取るかによって、ミドル級にまでチャンスが巡ってくるかわからない。気の遠くなるような道のりだ。 初戦で思いの他苦戦。佐藤もつきつけられた”現在地”はわかっている。 「五輪への視界は開けるどころか曇りましたね(笑)。現実に戻ったというか、これは”やべえなあ”と。修正点がたくさん出ました。ジャブをもっと効かせる予定だったのに効かせることができなかったし、経験が足りなすぎました。もっとスパーなどの実戦を増やしていかなくちゃいけないし、下半身も作り直さないといけない」 公式戦グローブの感触にも戸惑った。 「試合用グローブを買って練習から使っていかないとダメです」という。 梅下監督も、「スタミナが足りない。今後、もっと走り込んでレベルアップしていく必要がある」と課題を口にした。 内山が、「腰の高さ」を指摘していたが、アマ時代に133勝101KO、RSCの高いKO率を誇ったパンチ力が鈍って見えたのは、やはり下半身の弱さだ。38歳の年齢に加え8年ものブランクがありながら、本格的に練習再開してまだ4か月。最長のスパーラウンド数も「4」では、そこまでを求めるに無理があったのかもしれない。だが、五輪を狙うのであれば、何もかもが物足りない。右のパンチを簡単に被弾したディフェンスの甘さも課題だろう。 関係者によると関東ブロックの出場候補に須永以上の強敵はいないらしいが、このままでは連戦を強いられる、その先の全日本を勝ち上がるのは、至難の技。全日本2連覇中で9月の世界選手権代表の森脇唯人(22、自衛隊体育学校)は須永よりもっとスピードがある。 だが、佐藤はポジティブすぎるほどポジティブだった。 「この前の記事に”38歳の挑戦は無謀か、ロマンか、夢か”と書かれていましたよね? いえいえ。夢やロマンで終わらせません。がっつり五輪切符をつかみますよ」 日大の試合用のタンクトップを身に纏った「村田に勝った男」……は、まるで“長い冬眠”から目が覚めたかのように生き生きとしていた。もう“ロマンを追う“とは書かないようにしよう。彼が追いかけているのは、もう夢ではなく現実なのだ。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)