論文は質より量?研究者が大学で「永年雇用」ポストを得るまでの長い道のり~「職業としての研究者」のリアル~
■「生き延びる」ために、脇目もふらずに論文を書く 研究職は知的労働と言われるものの、決して優雅な生活ではない。特にパーマネントの職を得るまでは、業績が少なければ次はないと思ったほうがいい。論文5本と論文10本の応募者がいた場合、普通は10本の応募者が採用されることが多いと聞く。5本の応募者の論文のほうが少しレベルの高いジャーナルに出ていたとしてもだ。仮に5本の応募者を採用するためには、採用担当者がそれなりの理由を用意しないといけない。
まずは論文の数。その次に質なのである。したがって、脇目もふらずに論文を書くことが「生き延びる」ために必須である。 (編集注:採用の基準などについての記述は、あくまで著者の経験に基づくものであり、すべての研究職に当てはまるとは限らない点をご留意ください) よく言われるように、そもそも日本は研究への予算が少なく、選択と集中で基礎研究にお金をなかなか配分してくれない。遊びから生まれる発見には構っている余裕がないといった風体である。
まあ、にらみつけているだけでは何も変わらないので、とりあえずまだ大学の運営などに責任のない今は自分が楽しく生きる術を模索するだけだとスッキリ考えることにしている。 これから研究者として生きていく我々の世代は、今の時点で教員になっている年上の研究者たちが歩んできた道とは異なる道をたどることになるだろう。私は日本国内だけではなく海外にも拠点を持ち、自身と研究にとってよりよい環境を自由に選べるようになりたい。
近年、普及してきたAIベースのツールは瞬く間に進歩するはずなので、そういったものを駆使し、思考を巡らすという本質的な作業にだけ没頭できる環境に身を置きたいという願望もある。指導教員が若手の頃と比べると、時代は大きく変わった。日本と海外の関係も、技術の進歩も。 京大の松浦さん(著者の所属研究室の教授。シロアリ研究で非常に有名)に言われたことがある。 「みんなが大崎さんを見てるよ。どんなふうに進んでいくのか。下の世代は特に見てると思うよ」
そんな、私は私の人生を生きているだけなのになぁ、とは言ったものの、いつの時代も下が上を参考にするのは当然でもある。私だって少し上の世代を凝視して学生時代を過ごしたし、今だってコッソリ見ている。先輩たちの背中を見つつ、自分に合った方法を取り入れて、そのときどきで最善の一手を打ち続ける所存である。
大崎 遥花 :クチキゴキブリ研究者