路線バスと観光列車の決定的な違い! 「生活路線」が生む深い旅の感動とは
人工的な交流場に潜む限界
一方で、鉄道の活性化を目的に、各地で既存車両を改造した観光列車が運行されるようになった。 筆者も観光列車に興味があり、公私ともに多くの列車に乗車している。観光列車では、車内で現地の食材を使った食事を楽しんだり、途中駅で地元の人たちが歓迎してくれたり、伝統芸能を披露してくれることが多い。 観光列車では、路線バスとは違って限られた時間ながらも、地域の人たちと交流する場が設けられている。ただし、停車時間が短く、業務として参加していることが多いため、自然なコミュニケーションをじっくり楽しむのは難しい。観光列車の場合、あくまで 「人工的に作られた交流の場」 に過ぎず、路線バスのように自然な会話のキャッチボールが生まれる環境とは違う。こうした環境の変化で、土地の実情を深く知るきっかけが減ってしまっているのは、本当に残念だ。
モビリティ研究を掻き立てる旅の魅力
本稿の依頼を受けたとき、「旅情」という言葉を改めて辞書で調べてみた。どの辞書にも 「旅に出て感じるしみじみとした思い。旅の情趣」 といった説明が書かれている。「しみじみ」という言葉がポイントだと筆者は考えている。心の底から深く旅先を味わえないと、“真の旅情”にはつながらないと思う。人工的に作られた場や形式的なコミュニケーションからは、心に沁みるような旅情は生まれないと感じる。 飾らない日常の生活路線バスで自然に生まれるコミュニケーションから旅情を感じ、その体験が次の土地の路線バスに乗りたいという気持ちを生む。さらに、真の旅情を得たい、感じたいという気持ちにつながっていく。一方で、どこでも似たような形式の観光列車に乗っても、いつもそうした気持ちになるわけではない。 自分にとって、各地の生活路線バスでの自然なコミュニケーションが旅情を生み、それが繰り返されることで、都市生活やモビリティについて研究したいという好奇心を掻き立ててきた。今後も生活路線のバスや鉄道に乗りながら、旅情を味わっていきたい。
西山敏樹(都市工学者)