路線バスと観光列車の決定的な違い! 「生活路線」が生む深い旅の感動とは
地方路線バスが映す生活と経済の縮図
少年時代や青春時代にひとりで山奥の路線バスに乗ると、ほとんどの場合、常連の乗客に声をかけられるものだ。 本数が限られた路線バスを利用する人は少なく、よそ者の自分は目立つ存在になる。おそらく、どこの誰なのか気になって声をかけたくなるのだろう。こちらも 「路線バスが好きで、本数が少なく珍しい路線に乗りたくて来た」 と正直に伝えると、自然と会話が始まる。そして、 ・路線バスが生活に欠かせない存在であること ・地域交通の変化 ・地域産業 ・経済状況 などについて教えてもらえるようになる。学生だったからこそ遠慮なく色々と質問できたのも大きかった。 地方の路線バスで終点まで行くと、本数が少ないために来た便でそのまま戻ることがよくある。その間に休憩中の運転士と話すことになるのだが、彼らも「物好きなやつだ」と思いながら接してくれる。そして、 「このバス会社にはこんな貴重な車両があるぞ」 といった話や、 「昔はこんな路線もあった」 といったマニアックなエピソードを聞かせてくれる。そうやって路線バスを通じて地域やそこにある生活を知り、住民や運転士と直接交流するなかで、自然な形で地域の生活や現状を学んでいった。 自分にとっての旅情とは、 「訪れた土地の情報を知ること」 である。その土地の生活や背景を知り、しみじみと思いを巡らせることが旅の楽しみであり、次の都市や交通に関する研究の糧にもなっていく。
地域交通が映す現地の実情
「情報」という言葉は、そもそも日本で造られた漢語だ。1876(明治9)年に酒井忠恕(ただひろ)が訳した『仏国歩兵陣中要務実地演習軌典』で初めて使われ、原語はフランス語の 「renseignement」 に由来する。もともとは軍事的な意味合いが強く、「(敵の)情状の報知」という意味を持つ言葉だった。情報とは、実際の事情や実情を知らせるものだ。 路線バスの旅は、自分にとってその土地と生活の事情を知るための貴重な情報を得る手段だった。特に路線バスを通じた自然な会話やコミュニケーションから生まれるものが多かった。しかし近年では、 ・2024年問題 ・モータリゼーションの進展 ・新型コロナ禍 などの影響で路線バスの廃止が進み、旅自体が難しくなっている。その結果、地域住民や運転士との自然なコミュニケーションも取りにくくなっているのは、本当に残念だ。