絵をみること、本を読むことの贈りもの。奈良美智の本|鈴木芳雄の「本と展覧会」
「僕は、生まれ育った遠いあの街に、ほんとうの自分を置いてきたのかもしれない。 なにか足りないような心の隙間を埋めるパーツは、生まれ育ったあの街、あの時代にある。」(『NARA LIFE』)
ロック喫茶の思い出以外にも幼少時代のこと、高校までのことを、同級生の名前までこと細かに記憶していることに驚かされる。雑誌の連載やインタビュー、著作の中で弘前時代はしばしば語られる。
「ぼくはいつも、記憶にある小さいころの世界と現在の自分との間を自由に行ったり来たりして、その中からインスピレーションを受けてきた。自分の中に、子どもの頃の記憶の街の地図があって、二十年前、三十年前の記憶が、まるで目の前にあるようにリアルに感じられるんだ。」(奈良美智―ナイーブ ワンダーランド―』KTC中央出版 2001年) 弘前から東京、愛知、そしてドイツへ。奈良を理解するキーの一つは音楽、そして旅。自分が他所者である状況にあえて身を投じることが呼ぶ変化ということだろうか。空間的な旅はもちろん多く、また、子ども時代への時間的な旅も創作に深く関係している。
(ドイツから帰国して)「自分が外国人であったあの国から、こんなにも言葉が通じて便利なこの国へ。 ここで、あの時以上の感覚が、やる気が得られるだろうか? 今は大丈夫、22年前、弘前から汽車に乗って上野駅に着いたあの気持ちがよみがえってる。 なにもかもが新しくて、買ったばかりの自転車に乗って意味もなく路地を走ったあの頃の気持ち。 真夜中の芝生畑に寝っころがって、夜空の星を眺めたあの頃のあの感覚。 忘れちゃいけない、自分のバックグラウンド+バックストリート。」(『NARA NOTE』)
美術評論家の松井みどりが寄せた文章の一節にこんなことが書いてある。 「奈良の境界的世界を支配しているのは、純粋に幼児的な感情ではない。そこではどんなに年を取っても人が体験し続ける、時折の根源的な記憶の呼び戻しが行われている。その絵に生じる奇妙な歪みは、子供の感情と大人の意識が時間を超えて融合したときに起こる既知の世界の痙攣の結果だ。同様に、奈良の『頭でっかち』な子供たちは、『ブリキの太鼓』の小人のように、小さな外見に収まり切れない覚めた意識を持つ成熟な子供、あるいはいつまでも子供の無心な暴力性を引きずっている芸術家の象徴でもあるようだ。」(『深い深い水たまり』松井みどり「黄昏のパラレルワールド:奈良美智の絵画世界」) 2001年、〈横浜美術館〉で始まり、その後、芦屋、広島、旭川、弘前を巡回した、奈良にとって日本国内の美術館で初めての大規模個展となった『I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.』のカタログがこれだ。