「国境通信」オクラの栽培がスタート しかし”目の前が真っ暗”に…支援とビジネスを両立する難しさ 川のむこうはミャンマー ~軍と戦い続ける人々の記録#7
鮮度保ったまま7時間 課せられた収穫と輸送のミッション
この日は、オクラを買い取ってくれる協力企業の担当者も現場に立ち会っていて、種まきを見届けたあと、今後予想される害虫や病気、その際に使用すべき農薬の確認を一緒に行った。 収穫できるまでに要する期間は約70日。そのあとは約2か月の間、毎日収穫することができる。逆に言うと、毎日オクラの収穫作業が必須になるということで、そのための人手の確保という課題もあったが、アインは「私の周りには働きたがっている避難民が大勢いる。心配いらない。」と頼もしい。 私たちの計画では、収穫されたオクラは現地にある冷蔵庫に一旦保管し、鮮度を保った状態で企業のもとに届けるために少なくとも3日に一度、まとめてバンコク近郊まで輸送することになっていた。輸送にもコストがかかるため、それも含めてオクラの単価は決定される。 どうやって輸送コストを抑えるのか、企業側に相談していたが、はっきりとした方針は示されていなかった。担当者が自ら車を運転して運ぶ、といった案もあったが、バンコクからは車で約7時間かかり、3日に一度のペースで往復を続けるのは現実的ではないように思った。この問題も含め、実はこの時点でオクラの買取価格について企業側から具体的な数字は示されていなかった。 合意していたのは5ライという規模で栽培し、収穫されたオクラは基本的に全量を企業が買い取ること、それだけだった。アインが調べてくれた地元市場でのオクラの買取価格は担当者に伝えていたので、それよりは高い価格で買い取ってくれることが、そもそもこの事業の前提であったし、それは企業側も当然認識したうえで、ここまで作業してきたはずだ。
嫌な予感が的中 企業担当者「かなり頑張ったのですが・・・」
種まきが終了し、水を飲みながら一息ついたところで、私は企業の担当者に「1キロ当たりどれくらいで買い取れることになりそうですか?」と尋ねた。この段階まで買取価格を詰めていないということが、後から考えれば異常なことなのだが、はっきりと質問したのはこの時が初めてだった。 「かなり頑張ったのですが・・・・」担当者が口にした価格は、地元市場での買取価格の半額以下だった。 聞き間違いではないかと確認したが、担当者からは会社としてこの価格が限界なのだとはっきりと告げられた。目の前が真っ暗になった。 嫌な予感はあった。担当者は事あるごとに、「会社としてはすでにかなり先行投資している状況なので・・・」と口にしていて、企業の中でこの事業に厳しい目が向けられていることが感じられた。オクラをバンコクまで輸送する手段についても、継続的にこの事業を行うつもりであれば定期便のような形でルートを構築してしまった方が効率的なのに、なかなかそのように動いてくれなかった。そのほかにも、担当者との会話の節々から、企業としてこの事業に前向きではない様子を感じてはいた。だが、それもすべて一度成功事例が作れれば変えることができる、オクラの栽培が成功すれば、その問題も解決できるのだ、そう私は思い込んでいた。 企業としては、提示した買取価格は正当なものだった。ベビーコーンの栽培を始めた時期も合わせると半年以上の間、まったく利益が出ない中で、現地の避難民に野菜の種や農薬を無償で提供してきた。担当者も何度も現地に足を運んでくれていたが、その人件費も企業が負担してきたわけで、「すでにかなり先行投資している」というのは事実だった。そのことは私も認識していたが、事業のそもそものスタートがクーデター後の混乱に苦しむミャンマーの人々への「支援」である、という大義名分に甘えて、企業側のビジネスの理屈をないがしろにしてしまっていたのだ。 オクラの買取価格の低さよりも、自分の考えの甘さ、浅はかさがショックだった。