「国境通信」オクラの栽培がスタート しかし”目の前が真っ暗”に…支援とビジネスを両立する難しさ 川のむこうはミャンマー ~軍と戦い続ける人々の記録#7
2024年3月にこれまで勤めていた放送局を退職した私は、タイ北西部のミャンマー国境地帯に拠点を置き、軍政を倒して民主的なミャンマーの実現をめざす民衆とともに、農業による支援活動をスタートさせた。 【写真で見る】テスト栽培したオクラ 色も形も味もいい 当初柱にすえていたベビーコーンが思ったほど収穫できないなど紆余曲折あったが、私たちは、ようやく「オクラ」という、ビジネスにつながる光を見出した。
指先は爪の中まで土で真っ黒 祈るような気持ちで種まき
アインの農園でオクラの栽培が始まった。種まきには私も参加した。整備された畝(うね)に深さ2~3センチの穴を作り、そこに3粒ほどの種を落として土をかぶせていく。 「ようやく本格的に野菜の栽培をスタートすることができる。どうしても失敗したくない、、、」 私は少しでも発芽がうまくいくようにと、穴を掘ったらその土を指で柔らかくほぐし、種の上にそっとかぶせるように作業していた。 しかし、そんな面倒なことをしているのは私だけで、ほかの人たちは木の枝で土の表面をガリっと削ったところに種を落とし、土をかぶせたかどうかもわからない状況で、さっさと作業を進めていく。おのずと作業スピードに差が出て、種まきの列の中で私だけが取り残されていくという状況が生まれた。見かねたアインが近寄ってきて、笑いながら声をかける。 「ブラザー、そんなに丁寧に作業しなくていいんだ。見ろ、手がこんなに汚れてしまって」 たしかに、私の指先は爪の中まで土が入って真っ黒だった。しかし、私は頑固に土をほぐしてかける、という作業を続けた。この程度のひと手間で、発芽の可能性が少しでも高まるなら安いものだ。農業の素人で、土をほぐすことで本当に発芽の可能性が高まるのかもわからないくせに、私はどうしてもこのひと手間を惜しみたくなかった。ようやく事業に光が見えたのが、今回のオクラの栽培なのだ。祈るような気持ちで種の上に土をかぶせ続けた。 とはいえ、こんなやり方をしているのは私だけで、圧倒的に作業スピードが遅いので、私がまいた種は全体のごく一部に過ぎない。要するに、ただの自己満足だった。私以外の人々の効率的な作業によって、今回予定していた5ライの農地への種まきは2時間ほどで修了した。 タイでは土地などの広い面積に使われる「ライ」という単位がある。1ライは、40メートル×40メートル=1600平方メートルなので、今回オクラの栽培にあてたのは5ライ=8000平方メートル。アインの農園の半分以上を充てた形で、私はオクラに対するアインたちの期待も、ひしひしと感じていた。