「東京モノレール」巨大ジオラマが四半世紀の歴史に幕 長年管理していた社員が語るモノレールへの思いとは…【藤田大介の鉄道NEWS】
今からおよそ25年前の1999年12月。 当時建てられたばかりの羽田空港ターミナルビルの地下に乗りいれた東京モノレール。「多くの旅行客に利用してもらいたい」という思いで、当時、終着駅だったこの駅の改札口横に巨大なジオラマが設置されました。 東京の名所が詰め込まれた羽田空港から浜松町までの沿線風景の中を、Nゲージサイズのモノレール車両が駆け抜け、訪れた人々を魅了していました。 設置から25年。 羽田空港第1ビルの耐震補強などに伴うリニューアル工事のため、この度四半世紀の歴史に幕を下ろすことになりました。 長年管理をしていたのは、東京モノレールの社員・山浦さん。乗ることも写真を撮ることも、そして模型を作ることも心から愛する山浦さんに、撤去最終日お話を聞きました。(聞き手:日本テレビアナウンサー・藤田大介)
東京モノレール・営業部主査 山浦勝弘さん 「大きさは大体5mと3mぐらいのL字形で、浜松町から現在のこの羽田空港第1ターミナル駅までをかなり忠実に作られていて、当時はこのポイントも転換するようになっていて、電動で動いていましたので列車が入ってくると転換をして、また羽田方面に走っていくという形で動いていました 」 「やはり動いてる頃は、お子様が一番最初に駆け寄ってきて、その後にお連れ様、お父様お母様がじっくり見られていたというのが印象的でした」 「当時はお客様がボタンを押すことによって列車が動き出して、途中ですれ違いをして、各々の駅に戻るというようなシステムが構築されていて、動く模型が駅にあるというのがあまりなかったと思います。かなり人気は高くてお客様もかなり見に来られた方が多かったですね 」 「電動で動いていたのでちょっと故障してしまって止まってしまった時には、係員が来て、整備をして、またお客様に動かしていただくという形で運営をしていました」
―どういう経緯で山浦さんがメンテナンスをするようになったんですか? 東京モノレール・山浦さん 「元々僕は模型を作ることが好きで、鉄道模型ですとか車の模型とかも好きなんですけれども、それで社員の中で誰かメンテナンスができる人がいないか?ということで、白羽の矢が立ったといいますか…」 「いつ止まるかわからないというのがありますので、まだ動いていた当時は頻繁に巡回をして、動いているかどうかを確認したりとかはしていました」 ―鉄道模型好きということで、天職ですね 東京モノレール・山浦さん 「モノレールも好きですし、一般鉄道も好きですけれども、あとはその作ることが好きなので、やはり自分には打って付けの役だったのかなと思います。そのいわゆる動くもの(モノレール)というのは今の段階では市販されてもいませんので、かなり構造的にも複雑でシビアなものではありました」 「他の人がいじれないものをいじれたというのは、今となっては非常にありがたい事だったんだなと思います」 ―もう電気配線も違うわけですよね 東京モノレール・山浦さん 「そうですね。この模型っていうのは、実際と同じで軌道桁の山側と海側に電車線、プラスとマイナスの線を合わせて集電しているというタイプで、もうかなり細かいというか、電気がうまく流れないと途中でショートしてしまったりとかっていうのがありまして、その辺はかなり難しかったですね 」 「動かさなきゃいけないというちょっと使命感っていうのもありますけど、あとはこの模型をいじれるという、なんか嬉しさというか、そういうのがありました」