デビュー40周年の長山洋子が振り返る「ASKA」「中原めいこ」「中島みゆき」ら豪華作家陣との思い出 「みゆきさんは私のことをまとめたノートを作ってくださって……」
記録と記憶で読み解く 未来へつなぐ平成・昭和ポップス 長山洋子(前後編の後編)
この連載では、昭和から平成にかけて、たくさんの名曲を生み出したアーティストにインタビューを敢行。令和の今、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービス(サブスク)で注目されている人気曲をランキング化し、各曲にまつわるエピソードを深掘りすることで、より幅広いリスナーにアーティストの魅力を伝えていく。 【画像】「長山洋子Spotify再生回数ランキング」(ポップス部門) ほか 今回は、およそ10年間ポップスを歌うアイドルとして活躍した後、演歌歌手に転身し、今年デビュー40周年を迎えた長山洋子。インタビュー前編では、主に演歌部門のサブスク・ヒットについて触れたが、第2回はポップス部門のランキングや最新シングル「白神山地」、さらには細川たかしとのジョイント・コンサートについて語ってもらった。まずは、アイドル時代の人気曲から尋ねてみよう。
ポップス部門の代表曲「ヴィーナス」でタテノリのユーロビートに挑戦し、新境地へ
ポップス部門第1位は、やはりシングルの「ヴィーナス」となった。本作はバナナラマによるヒット曲のカヴァーで、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」や石井明美「CHA-CHA-CHA」など、ユーロビートの日本語カヴァーが次々とヒットした中で1986年10月にリリースされた。ただし、当時の長山は黛ジュンの昭和歌謡のカヴァー曲「雲にのりたい」(‘86年5月)がオリコンで自己最高の35位をマークし、徐々にヒットしはじめた頃。急な方向転換に戸惑いはなかったのだろうか。 「とっても大変でしたね。私、もともとの声質は決してメジャーではなく、マイナー調なんですよ。それで、アイドルらしくメジャーにするか、声に合わせてマイナーにするか、デビューから路線を試行錯誤した中でたどり着いたのが、『雲にのりたい』(Spotify第8位)のようなセンチメンタルな作品だったんです。そこへ、ディスコ・ブームからユーロビートがはやり出して、『ヴィーナス』を歌うことになり、民謡で育ってきた私にはまったく縁のないタテノリを、一所懸命に練習しました(笑)。ただ、ダンスのほうは、音楽番組『レッツゴーヤング』(NHK)のサンデーズで毎週のようにレッスンを受け、ヒーヒー言いながらやっていたので(笑)、なんとかこなす形にすることができました。