「幸せになりたい人」に強烈なダメ出し…「毒舌の哲学者」が考えた「ほんとうの幸せ」
「求道の哲学」としての『余録と補遺』
これが『余録と補遺』の原題だ。主著やほかの著作に収まりきらなかった論稿を拾い集め、補完的にまとめたもの、ということだろう。この本はあくまで主著の添え物であり、その哲学の核心は変わっていないのだということが、タイトルからして強調されているわけだ。 だが、光源と角度を変えることで異なる輝きを放つ宝石のように、この著作はショーペンハウアー哲学の思いがけない魅力を示してくれる。 (1)「観念と実在に関する学説史の素描」 (2)「哲学史のための断章」 (3)「大学の哲学について」 (4)「個人の運命に宿る意図らしきものについての超越的思弁」 (5)「視霊とこれに関連するものについての研究」 (6)「人生の知恵のためのアフォリズム」(邦題『幸福について』) この6番目のエッセイが『余録と補遺』の中心とみなされていて、ドイツでは現在もなおレクラム文庫で読み継がれている。日本でも、『幸福について』というタイトルで文庫本として手に入る。『読書について』や『自殺について』といった文庫は、『余録と補遺』第2巻から抜粋されたものだ。 主著で示されたとおり、ショーペンハウアー哲学の根本教説は「意志の否定」だ。この世のすべてを厳しく否定し解脱に向かう、〈求道の哲学〉である。これはたいていの人にとっては実現しがたい、少数の者のための峻厳な思想だといえる。『余録と補遺』でも「意志の否定」が根本教説だという点は変わらない。 ただし、明確な違いがある。後者で想定されている読者は、「意志の否定」の重要性はわかるのだけれども、それでもこの世で生きていかなければならないたいていの者たちであり、そうした者たちのための実践の書になっていると考えられるのだ。 ショーペンハウアー自身、卑屈に嘆き続けていたわけでも、ひたすら禁欲と苦行に身を捧げたわけでもない。堂々たる哲学的な真理を胸に抱きつつ、生き生きと暮らしていたことが、その晩年の暮らしぶりをみれば明らかである。 さらに連載記事<ほとんどの人が勘違いしている、「幸福な人生」と「不幸な人生」を分ける「シンプルな答え」>では、欲望にまみれた世界を生きていくための「苦悩に打ち勝つ哲学」をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
梅田 孝太