「幸せになりたい人」に強烈なダメ出し…「毒舌の哲学者」が考えた「ほんとうの幸せ」
現代社会は、とにかく生きづらい。そして運命は残酷だ。生きていくということは、なんて苦しいのだろう。 【写真】「幸せになりたい」人に強烈なダメ出し…「哲学者」が考えた「本当の幸せ」 「苦しみに満ちた人生を、いかに生きるべきか」ーーこの問題に真剣に取り組んだのが、19世紀の哲学者・ショーペンハウアー。 哲学者の梅田孝太氏が、「人生の悩みに効く哲学」をわかりやすく解説します。 ※本記事は梅田孝太『ショーペンハウアー』(講談社現代新書、2022年)から抜粋・編集したものです。
求道の哲学/処世の哲学
ショーペンハウアーがその主著『意志と表象としての世界』で提示したのは、〈求道の哲学〉だった。すなわち、ショーペンハウアーは生きることの苦しみを主題化し、その元凶である「意志」を否定することを根本教説として提示したのである。 若きショーペンハウアーは、苦しみに満ちたこの世の醜さに「否」をつきつけ、無目的な意志の支配を断ち切ろうとし、自由への逃走を試みたのだともいえるだろう。「青春の哲学」と呼ばれる所以もここにある(『ショーペンハウアー 随感録』、秋山英夫訳、「解説」326頁)。 だが、ショーペンハウアーが書いたもののなかで、最も多くの読者を獲得してきたのは彼の主著ではない。それは、彼が63歳になった頃、1851年に刊行した『余録と補遺』という著作である。 そこに収録されていた「人生の知恵のためのアフォリズム」(Aphorismen zur Lebensweisheit)が大変な人気を博した。 その内容は驚くべきことに、幸福論である。すなわち、若者に向けて、人生の酸いも甘いも知る熟年期のショーペンハウアーが生き方の知恵を授けてくれる、生き方についての指南書だ。 このような人生訓の類書は、西洋では古代ギリシアのヘシオドスやアリストテレスの『ニコマコス倫理学』以来、20世紀のアドルノ『ミニマ・モラリア』にいたるまで、豊かな伝統がある。 『余録と補遺』は、イギリスでショーペンハウアー思想についての紹介記事が出てから広く読まれるようになり、ついにはショーペンハウアーをヨーロッパで最も影響力のある書き手の一人にした。 第3章では、この『余録と補遺』について取り上げることで、ショーペンハウアー哲学の人生論としての側面に光を当てていきたい。 ショーペンハウアーの幸福論は、幸せを願う読者の期待を鮮やかに裏切って、幸福になりたいだなんて、無駄だからやめておけと言ってのける。 この書は、ありきたりな指南書や自己啓発本とちがって、自己欺瞞に導いたり、優しい言葉で読者の承認欲求を刺激したり、欲望のはけ口を与えて甘やかしたりはしない。むしろ皮肉と軽妙な語り口によって冷や水を浴びせ、不思議とすっきりした「あきらめ」の境地に導いてくれるような、他に類を見ない生き方指南書となっている。 ショーペンハウアーは、わたしたちが日常的に幸福と呼んでいるものの正体を「あきらかにする」ことで、「あきらめる」ことへと導いてくれる。つまり、この本が示してくれるのは諦観の思想であり、ショーペンハウアー哲学の人生論としての側面である。