『正体』横浜流星は“冤罪者”の人生を生きる 原作者・染井為人が認める“幸福な原作改変”
「幸福な原作改変」というものが、確かに存在する。現在(2024年12月)上映中の作品『正体』を観て、そう感じた。もちろん、原作愛のない身勝手な原作「改悪」は問題外だし、根絶しなければならない。だが今作については、原作者の染井為人自身が、「原作者として、救われた思いでした」と語っている(公式パンフレットより)。 【写真】“冤罪者”横浜流星の表情が切実… ネタバレになるため、どのように変わったのかは言えない。ただ原作者自身が文庫版あとがきで書いているように、原作のストーリー展開については、大きな葛藤や迷いがあったようだ。断っておくが、この原作小説は極上のサスペンスであり、一級品のエンターテインメントである。 ただ原作者自身の葛藤や迷いは、読者にも大きな「しこり」のようなものを残す。その「しこり」が、読み終えた後もいつまでもこの物語を、主人公である鏑木慶一を、忘れられないものとしている。監督の藤井道人と横浜流星は、その「しこり」を悪性のものから良性のものに変えた。藤井監督はそのことを、「明日からの“生きる活力”になる映画を作るため」と答えている(公式パンフレットより)。 物語は、一家惨殺事件の容疑者として死刑判決を受けた鏑木慶一(横浜流星)が、脱走するところから始まる。彼は名前を変え、顔を変え、経歴を偽り、日本中を逃走し、各地で出会った人々と交流を持つ。 横浜流星は、“鼻を赤くして泣いている顔がもっとも美しい俳優”だ。だからこそ、“運命に翻弄される陰のある役”が似合う。事故で両親を亡くした大学生を演じた『線は、僕を描く』(2022年)や、ムラ社会に絡めとられた青年を描いた『ヴィレッジ』(2023年)などが好例だ。本来好感が持てないはずのモラハラDV彼氏を演じた『流浪の月』(2022年)ですら、そんな人間になるに至るバックボーンを想像してしまい、胸が痛くなる。 横浜流星は常々、役を「演じる」のではなく「生きる」と表現している。今作でも、逃亡中の死刑囚として、生きている。だからこそ、常に画面上に漂う緊張感は本物だ。常に追われている恐怖感や焦燥感、心が休まるときのない疲労感が、観ているこちらにも伝わる。気がつくと、手のひらに嫌な汗をかいている。 彼はもともと極真空手の国際大会での優勝経験もあり、ボクシングのプロライセンスも所持している。格闘家を演じた作品で見せる、技のキレや身体能力は素晴らしい。高く上がる足も、回転の速いパンチも、走るフォームの美しさも、すべて惚れ惚れする。だが、なにかが物足りない。 我々が観たい横浜流星は、イキイキと戦う横浜流星ではない。そもそもそれは、単なる“素”の横浜流星だ。我々が本当に観たいのは、顔を歪めて泣いている横浜流星だ。彼の泣き顔を見ると、思い出す光景がある。漫画『SLAM DUNK』の名シーン、三井寿の「安西先生……!! バスケがしたいです……」の涙だ。あれだけバスケ部に嫌がらせをしていたのに、許されてしまう、その涙の破壊力。 横浜流星の涙にも、三井寿と同じ殺傷力がある。逃亡先でフリーライター・那須として見せた涙。その涙により、編集者・安藤沙耶香(吉岡里帆)は、彼を100%信用してしまう。あまつさえ、住所不定・素性不明の彼を同居させてしまう。文字面だけ眺めると、どう考えても無理のある展開だが、横浜流星の涙を見せられると、納得してしまう。そりゃ信じるわと。そりゃ家も提供するわと。その殺傷力は、もはや兵器である。