『正体』横浜流星は“冤罪者”の人生を生きる 原作者・染井為人が認める“幸福な原作改変”
横浜流星冤罪の悲劇を演じ切る
この物語のテーマは、「冤罪」である。原作者の染井為人は、「冤罪がどれほど理不尽で、悲しく、虚しいものなのかを(中略)多くの人に感じてもら」うために、この作品を書き上げた(原作あとがきより)。彼は、「具体的にどの事件をモチーフにしたわけではない」と語っている。だが、今作を読んで、観て、どうしてもイメージしてしまうのが、「袴田事件」だ(映画ではカットされたが、原作で使用した偽名の一つに、「袴田」がある)。 一家惨殺事件の犯人として一度は死刑判決を受けた袴田巖氏が、2024年、実に58年もの歳月を掛けて無罪を勝ち取った事件である。この事件については、調べれば調べるほど、冤罪というものの恐ろしさを思い知らされる。一度「クロ」と見なされたら最後、捜査は完全にクロである前提で行われる。シロかもしれない可能性を示す証拠は、見て見ぬふりをされる。 今さら「無罪でした。ごめんなさい」と言われたところで、事件当時30歳だった袴田氏は、もう88歳である。この方の人生はなんだったのかと考えると、到底謝って済む話ではない。筆者は、元プロボクサーの袴田氏と、プロボクシングのライセンスを持つ横浜流星を、重ねて見てしまった。「冤罪による死刑判決を不服として脱走した世界線の袴田巖の物語」として、この作品を観た。この作品で、鏑木慶一が出会う人々。野々村和也(森本慎太郎)、安藤沙耶香、酒井舞(山田杏奈)らは、袴田巖氏が出会っていたかもしれない人たちだ。 今作のもう一つの救いが、山田孝之演じる又貫刑事の存在だ。警察サイドが全精力を挙げて鏑木を「クロ」にしようとしている中、彼だけが悩み、もがき、葛藤する。この点も原作では描かれなかった警察サイドの「良心」を、彼が一人で背負っている。山田孝之の昭和の劇画顔には、苦悩の表情がよく似合う。もう一人の主人公と言える存在だ。同じく袴田氏が、この又貫のような警察関係者と出会っていればとも、思う。 この作品『正体』は、長年のバディである、監督・藤井道人と俳優・横浜流星の集大成とも言える作品だった。2025年は、お互いに大型時代劇に挑む。藤井道人は、今村翔吾原作、岡田准一主演の侍バトルロワイヤル『イクサガミ』(Netflix)に。横浜流星は、“江戸のメディア王”蔦屋重三郎の生涯を描くNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に。これらの大作を経て、再び彼らがバディを組む日を、今から楽しみにしている。
ハシマトシヒロ