UKロック大復活の2024年、English Teacherが最重要バンドとなった4つの理由
3)リリー・フォンテーンの美しい詞世界
フロントウーマンであるリリー・フォンテーンによる歌詞も、その音楽性に負けず劣らず高い評価を受けている。マーキュリー・プライズの選考委員は「シュールレアリスムと社会観察がミックスされた魅力的な歌詞」と褒め称え、英Record Collector誌は「北部的なキッチンシンクドラマの要素がしばしばシュールレアリスムに逸脱し、聴き手をゾクッとさせるような、極上の、言葉で言い表せない次元を付け加える」と絶賛。シュールレアリスム的な要素は、例えばドイツのロマン派画家フリードリヒが墓から蘇ると歌う「Sideboob」や、“街で一番大きな敷石”を擬人化して主人公にした「The World’s Biggest Paving Slab」に顕著であるし、社会観察的な視点はアルバム全編を通してそこかしこに見られる。 そしてリリーの歌詞でもうひとつ特徴的な要素を挙げるとすれば、ワーズワースやコールリッジなど英国ロマン派詩人からの引用が頻出することだろう(アルバム1曲目の「Albatross」は冒頭からコールリッジの「老水夫行」を参照している)。リリーの言いたいことを美しい表現で的確に補足するその引用は、歌詞の完成度を一層高めることに寄与している。 歌詞の形式だけではなく内容にも触れておきたい。筆者の理解では、デビューアルバムらしく、地元を出て独り立ちすること、音楽家として身を成すことがテーマのひとつになっている。例えばタイトル曲の「This Could Be Texas」では、「農夫とその熊手(ピッチフォーク)は無視して、ギョリュウモドキ(常緑の低木)の中を歩こう」と歌われる。これはメディアの評価など気にせず、音楽家としてまだ誰も歩んでいない道なき道を切り開くんだという強い意志の表れだろう。 ただユニークなのは、リリーの書く歌詞には故郷であるイングランド北西部の町、コルンの風景や人々が頻出することだ。自伝的だという「Broken Biscuits」で「壊れた英語、壊れた家庭、壊れたビスケット」と歌っているように、リリーは幼少期に両親が離婚しており、子供時代は「楽しい時期じゃなかった」と話している。そのため、コルンから出ることは過去の辛い思い出を乗り越えることと繋がっているのだろう。だが同時に、コルンを執拗に描くのは彼女が故郷を愛していることの証でもある(「Sideboob」では故郷の美しい自然を賛美している)。 そしてそうしたリリーの故郷への愛憎がもっとも端的に表れているのが、コルンに実在する通りの名前を冠したラストトラック「Albert Road」だ。「彼らの偏見を真に受けないで(略)彼らは愛することがどれだけ楽しいかを世の中から教えてもらえなかった(略)それが彼らがあまり遠くへ行けない理由」というコーラスパートの歌詞は、地元の人たちから心無い言葉や行動を受けたことがある幼少期の自分に語り掛けているように解釈できる。しかし次のコーラスでは主体と客体を逆転させ、「私たちの偏見を真に受けないで(略)私たちは愛することがどれだけ楽しいかを世の中から教えてもらえなかった(略)それが私たちがあまり遠くへ行けない理由」と歌うことで、かつて自分を傷つけた人たちにも理解と慈愛の眼差しを向けている。主体と客体の逆転はポップソングの歌詞における常套手段ではあるが、それで故郷への愛憎という本作の重要なテーマを表現し、アルバムのラストに強いカタルシスを生み出してみせたのは見事だ。本国の批評家たちがリリーの歌詞に称賛を惜しまないのも頷ける。