ドローンが頭上を飛ぶウクライナの日常 黒海沿岸現地ルポ ロシア軍占領下の記憶が残る村
地雷原の村に残るロシア軍占領下の記憶
くぐもった砲声が立て続けに数発、遠雷のように南の方角から聞こえて来た。ドローン攻撃の被害を受けたセルゲイさんが住んでいた家とは、ドニプロ川を挟んで対岸に位置するプラヴディノ村。前線から約30キロに位置する同村一帯には多くの地雷が埋設され、立ち入り禁止を意味する「どくろマーク」の標識の向こうで、戦闘車両のさび付いた残骸が荒涼とした原野にさらされている。 「ロシア軍が攻めて来た時は生きた心地がしませんでした。戦車の前に立ちはだかった勇敢な男性がその場で射殺され、遺体は路上に一週間放置されていました」。4人の子供の母親タチアナさん(31歳)は証言する。 家々が略奪され、有無を言わさず接収された。「ロシア兵はそれなりに規律があったけれど、恐ろしかったのはブリャートの兵士たち。目についたものを何でも奪い、抵抗した村人7人が殺されました」。ロシア軍ではモンゴル系のブリャートなど少数民族の部隊が危険な最前線に投入され、ロシア人より死傷率が高いとも言われる。 タチアナさんの夫(38歳)は当時、兵役で留守だったため、母子は村を逃れてウクライナ西部やミコライウ州などを転々とした後、今年7月に住み慣れた我が家に帰って来たという。「村に戻るのは容易な選択ではなかったけれど、行く先々で家を借りるのもおカネがかかって大変だから……」。 3人の息子と娘1人がいるが、就学年齢の子供たちは通学せず、在宅で一日5時間のオンライン授業を受けている。なぜ学校に行かないのか尋ねると、「だって、村の学校は戦争で壊されちゃったからね」と長男のニキータ君(14歳)。後で見に行ってみると、なるほど、村の小中併設校は直撃弾を受けて無残に崩れ落ちていた。
映画のようなウクライナ兵の脱出劇
この村で起きた映画のような出来事を話してくれたのは、住民のアレクシーさん(57歳)。「ロシア軍が侵攻して来た時、退却が遅れて取り残された若いウクライナ兵3人を妻の両親が家の地下室にかくまって、そのことは誰にも言わなかった。ところが、よりによってロシア兵が来て、家を接収すると言ったんだよ」。以前、別の村から避難した夫婦に話を聞いたことがあるが、「ロシア兵は集落を一軒一軒回って、時には住民を殴ったりスタンガンを使ったりして尋問し、兵士や武器が隠されていないか捜索した」という。 絶体絶命の状況で兵士たちを何とか脱出させなければ――。義父は高齢ながらよほど胆力のある人物とみえて、一計を案じてロシア兵に「家を明け渡すので、愛用の家具をいくつか持ち出したい」と申し出た。そして「居間にあったソファの詰め物を抜き取り、小柄な兵士を中に押し込んで、その上にシーツや段ボール箱をたくさん載せ、親戚に手伝わせてトラックに積み込んだんだ」とアレクシーさん。 これだけでもドキドキするが、さらに話は続く。「あご髭を生やした兵士には古ぼけた帽子を目深にかぶらせ、古着のコートを着せたうえに、杖を持たせて貧しい年寄りに変装させた。まだ寒い時季だったから、コートの襟を立てて顔周りが隠れても不自然には見えない。それで腰をかがめてヨタヨタ歩いて、ロシア兵の目をごまかしたというんだ」。 一番若い兵士は童顔だった。「義父は他所にいる本物の孫の出生証明書を見せて、『この子は自分たちの孫で、兵士ではありません。一緒に連れて行きます』と言って押し通した」。結局、3人ともまんまと脱出に成功したという。 アレクシーさん自身は、この出来事の少し前に砲弾の破片で左脚を負傷し、20キロ離れた州都ヘルソン市内の病院で治療を受けて療養していたため、そこで避難して来た一行を迎えた。「3人は『あなたがたは命の恩人です』と何度も義父たちの手を握り、混乱に紛れて立ち去った。彼らが今どうしているか、生きて戦っているかどうかは分からない」。アレクシーさんは3人の無事を祈り続けている。 プラヴディノ村の広場で会った女性村長イリーナさんは、「家が全壊したなどの理由で、他所に避難したまま帰って来られない住民も多く、1500人余りいた人口は現在850人ほどに減りました」と説明する。占領下で最後まで村に残った約180人は「逃げるに逃げられない年金生活の高齢者がほとんど。避難するにもおカネが必要だし、頼れる伝手もない住民は危険を承知で留まるしかなかったのです」。加えて、若い頃から住み暮らした自分たちの土地や家を離れたくない気持ちも強かっただろう。イリーナ村長は「ここはまだ戦場。厳しい状況が続くけれど、皆で助け合って村を再建しなければ」と毅然とした表情を見せた。