「実力もさることながら…」当時14歳だった藤井聡太が、三段リーグの対戦相手に与えた“衝撃”とは
まだ将棋を指してもいいんだということが、うれしかった
――その期は5連勝スタートでした。それからも星を重ねて、リーグの後半で昇段が現実的な数字になると多少なりとも意識されるのではないでしょうか。 冨田 それでもプロになれるとは思っていませんでした。自分の中では一度けりがついているので。ただ、伊藤君や古賀君(悠聖六段)といった若手有望株と同じ時期に将棋を指せているのはうれしかったですね。有望な若手と言えば上野君(裕寿四段)もそうで、このリーグで上野君とぶつかった時は立命の人から教わった作戦を指して勝ちました。 ――冨田VS上野戦はラス前の16回戦ですが、16回戦の結果、伊藤さんが14勝2敗で四段昇段決定、冨田さんが12勝4敗で自力、古賀さんが11勝5敗で他力一番手という状況になりました。 冨田 その時も「残る2つを連勝できればプロか」という意識はなかったですね。逆に以前の三段リーグ最終日を三番手で迎えた時は「プロになったらどうしようか」などと思っていた記憶はあります。最終日は古賀君に逆転される可能性もありましたけど、その前の直接対決で負けているので、どこか納得する面はありました。 最終日の1局目は大作戦負けで「やっぱりプロにはなれないのか」とも思いましたけど、逆転勝ちです。勝てばプロ入りという2局目は「前局がひどかったから、もう少しましな将棋を指せるだろう」と考えていました。その最終盤で数手後の勝ちを読み切って、手洗いで席を立ちましたが、洗面所の鏡を見た時に涙が出ていることに気づきました。まだ将棋を指してもいいんだということがうれしかったですね。やっぱり将棋が好きなんで。最終戦を井田君(明宏五段)や徳田君(拳士四段)といった弟弟子が見に来てくれたのもうれしく、昇段を決めて師匠に電話したら、師匠も泣いていました。
負けた時の痛みは、プロになってからの方がきつい
――奨励会では苦労されましたが、プロになってから実質的な1年目である21年度は32勝16敗の成績でした。対局数ランキングでは10位タイです。 冨田 最初の半年(20年10月~21年3月)は4勝5敗で、やっぱりプロの先生は強いなと思いましたね。三段リーグの時と比べると、よりファンの方の声も届きます。応援してもらっているのに不甲斐ないなと、いろいろ深く考え過ぎていました。持ち時間の長い将棋を丸一日かけて負けるというのも初めての経験です。それでも絶対に何か結果を残さなくてはいけないという思いがあったから、30勝できたのではとも考えます。 ――一局一局の勝ち負けについてはいかがですか。 冨田 負けた時の痛みは三段時代と比べてもプロになってからの方がきついですね。プロになってから感じるのは勝ちと負けの価値が等しくないことです。勝ってもそれほどうれしいわけではなく、日常が続くという感じなのに、一度でも負けると次の対局があるまではずっと沈んでいます。浮上することがなくて落ちるだけなのできついです。 以前、9連勝後に1敗したときは、「9勝1敗でここまで割に合わないのか」と思いました。どんなにプライベートでいいことがあっても、将棋に負けたらまったく楽しくないんです。逆にいうと他でどれほどのリスクがあっても将棋にさえ勝てばそれでいいんですね。やっぱり勝つことがすべてなんですよ。将棋が好きですから。それでも自分はプロの中では勝ち負けにこだわらない側だと考えているので、他の棋士はもっときついんじゃないかと思います。 写真=石川啓次/文藝春秋 棋士コンビでM-1に出場して…「だからこそ将棋の成績を残さないといけない」という思いを強めたワケ へ続く
相崎 修司