「実力もさることながら…」当時14歳だった藤井聡太が、三段リーグの対戦相手に与えた“衝撃”とは
「大学卒業の時にプロになれていなかったのはショック」
――冨田さんが四段昇段を決めたのは2020年、24歳の時です。それまで、プロになれないのではという思いが頭をよぎることはありましたか。 冨田 自分が昇段を逃してショックを受けたことなら、17年の第61回リーグで古森君が上がった時ですね。同じ12勝6敗で、自分が頭ハネでした。当時はまだ21歳で年齢制限までは余裕があり、プロになれないとは思いませんでした。ですが、大学卒業の時にプロになれていなかったのはショックでしたね。 ――大学卒業後の年齢でプロになった棋士から「同級生は卒業や就職で環境が変わるのに、自分の環境はまったく変わらないのが情けなかった」という言葉をよく聞きます。 冨田 そうですね。特に自分の場合は大学入学時も三段でしたから。もちろん自身の中では紆余曲折がありますが、傍から見ると何も変わっていないのはつらかったですね。研究会などを重ねることで、上に近づいている手ごたえはありましたが、あと少しの壁がなかなか突破できませんでした。古森君のあとも、出口君や黒田君が上がって、自分だけが取り残されている感じはありました。 ――最後の壁を突破出来たきっかけは何だったのでしょうか。 冨田 だらだらやってもよくないのは わかっていました。自分は自身に甘いので強い気持ちを持たないといけない。ですから19年4月からのリーグで、ここからは一度でも負け越したら退会しようと思っていました。ここからは自分の中でも一番将棋の勉強をやっていた時期だと思います。 ――その19年度前期、第65回リーグでは8勝10敗の負け越しです。 冨田 このリーグはラス前でとんでもない逆転負けをしました。三段リーグの戦い方もわかっていたはずなのに、まだこんな負け方をするのかと自身に呆れましたね。その時は気持ちが切れていましたが、次の相手が伊藤君(匠叡王)です。なぜか相掛かりを採用して勝ちました。無心でやれば強い相手には勝てると。覚悟を決めるために、当時の幹事である北浜先生(健介八段)に「退会届をください」と言いました。出すつもりはなく懐に忍ばせてと。この時はまだプロになれると思っていました。この時点で、次の半年がダメだったらやめると、都成さん(竜馬七段)にだけは伝えていました。もちろん止められましたけど。