軍事アナリスト小泉悠と、シャララジマ&リサタニムラが語る映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』
これまでにない新感覚の反戦映画として
S「怖かったのは、マット・デイモンにそっくりの俳優、ジェシー・プレモンスが演じた超冷酷な軍人。アメリカは他民族国家なのに分断となったら、まずは分かりやすく自分と異質なものから弾いていく。理由が明確にあるわけでもなく、“非アメリカ人”または“自分とは違うアメリカ人”を始末していくんです。移民が多くさまざまな容姿や思想が溢れて多様性が重んじられてきたからこそ、ああいった人間の仕分け方になるんだなと。日本は私のような人種が違う移民は少ないので、内戦時は実はターゲットになりにくく安全なんじゃないかとすら思いました」 L「驚いたのが、フロリダの人はギリ大丈夫なんだっていう、絶妙な線引き(笑)。 K「アジア人差別もあったしね。香港、中国でだめなら、同盟国とはいえ日本人もパールハーバーとか言われてアウトだろうなあ(笑)」 S「サミーは黒人だったけど、どうなったんだろう。“自分とは違うアメリカ人”としてダメなのかな。あの超冷酷軍人が、ホワイト・トラッシュやレッドネックの比喩だとして、銃を持っているだけで何が起こるかわからない恐怖がありました」 L「この映画で思ったのは、国によって国民の心に刺さる武器って違うということ。とにかくアメリカ人は銃!建国した瞬間からのアイデンティティなんでしょうね」 K「人間って不思議なもので、他国が攻めてきたときよりも、革命の時の内戦の記憶のほうが強く残っていたりする。ロシアも18世紀にポーランドが攻めてきたとき、大内乱になってモスクワの人口が1/3くらいになった。言葉が通じて、同じような飯を食べている同士の争いのほうが陰惨なんですよね。映画の中で、洗車機に吊るされていた人たちはその象徴。2022年にアメリカの政治学者バーバラ・F・ウォルターが『アメリカは内戦に向かうのか』という本を出していますが、南北戦争があったアメリカのように一回内戦している国って、あれを繰り返したら本当にやばいという意識があると思うんです。“シビル・ウォー”は、そもそも南北戦争のことを指す言葉です。作中のWF(西部連合) というのは、当時の南部連合かけているのでは。南北戦争では北軍が「海への進軍」という無差別破壊戦をやっているんです。南部連合が国家として存続できないくらい街を焼け野原にするという。WF(西部連合)の異常な残虐さは、この逆写しなんだと思う」 L「実際、いまのアメリカって内戦になりうるレベルの分断が起きているのですか。どれくらい可能性が高いのかな。もちろん、大統領選を前だからということはあると思いますが」 K「正直なところ、実際には起きないかもしれないけど、過去百何十年の中で最もアメリカ人がその危険を感じているとは思う。アメリカの専門家ではないので、なんとなくの発言になってしまいますが。どちらかというと、大統領選はその結果なのかもしれません。J.Dヴァンスがトランプ大統領の副大統領候補としてなぜ支持されるのかなど含めて。彼の著書『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』は意外にも面白い。彼は貧しくてさらにDQN家庭育ちだという…。アメリカから一番軽蔑されているヒルビリーの実情と、彼らが何でそうなってしまうかの論理を文学的な筆致で描いています。彼は実際に海兵隊員だったから、アメリカの若者がよくわからない正義のために死んでいくことにも憤りがある。国家秩序とか民主主義といった理想がすっかり形骸化して、そんなものはうんざりだという人が結構いるんじゃないですかね。で、まだそういう理想を信じている人たちのことを憎んだり軽蔑したりしている」 L「アメリカはNYとLAだけ別世界みたい。アレックス・ガーランド監督が言っていたのが、他の国の人たちは下手したら自国の政治よりもアメリカの政治に関心があって詳しいと言っていて。本当にそうだなあと。 K「確かに自分自身も全くの日本人ですが、トランプが大統領になったら日本の安全保障、貿易、気候変動がどうなるんだと気にしているんですよね。縁もゆかりもないのに、世界の構造上、私たちの生活に直結するようになっている」 S「もしかしたら日本の自民党総裁選よりも、関心が高いのかもしれない。自民党総裁よりも米国大統領の方が、日本国民の生活に影響力があるはずはないだろうに」 K「アレックス・ガーランド監督は英国人の映画監督ということで、スタンリー・キューブリック監督を思い出しました。彼の『博士の異常な愛情』という作品があります。アメリカの空軍のジャック・リッパー将軍がトチ狂って、この世は全てディープステート(当時の場合は『共産主義者』)のようなものに支配されていて、水道水にはフッ素が入っていて男性を皆不能して、アメリカ人の子どもが生まれないようにしていると思い込む。その果てに、先に自分の核爆弾でソ連を壊滅させなければという思想に取り憑かれて使命感で核戦争を始めようとするんです。そんな将軍の元にイギリス空軍から派遣されてきた将校があの手この手で、核戦争をやめさせようとするんですが、これは象徴的でしたね。イギリス人はアメリカ人のことをすごくよくわかっているから、アメリカが変になったら最初に気づく。でもアメリカを羽交い締めにして止める力は自国には無い」 L「確かに。冷静な視点でアメリカを描くという点では、イギリス人の監督だからできたことなのかもしれませんね。すごく深いところで幅広い層の人たちの戦争に対する意識を変えようとしているのかも知れません。 K「先ほど、アドレナリンが出るという話が出ましたが、どこで出るかですよね。普通の戦争映画でもアドレナリンは出ると思うんです。戦争映画って、銃を持った気持ちで鑑賞する人が一定数いますし。リドリー・スコット監督の『ブラックホークダウン』を観ると自分もブラックホークに乗ってM4カービン小銃を持ち戦場にいる気がしてくる、そういうアドレナリンなんですよね。『シビル・ウォー』は、自分は何もできない、そんな処刑台に立たされているようなアドレナリンなんですよね。殺される側の気持ちを味わえと監督に突きつけられているような…」 L「IMAXだ、銃だ、戦車だ、戦争だと言って映画館に行くと、あれ、カメラ?なんか違うぞっていう(笑)」 S「自分の命もここまでなのかもっていう気持ちは味わえましたね。終末を迎える人の立場になるから、アドレナリンが出るんだと思う。記者のジョエルに関しては、戦場に向かうと決まった瞬間に異常な興奮をしていた。記者であっても戦争は変なテンションになるものなんだろうな」 L「それに対して、リーはとても冷静。彼女が戦場を撮る動機は、台詞にあるように『アメリカに警告を発してる』というものだからなのかも。終盤は諦めているような、辛そうな表情が印象的です。ラストも衝撃的でしたが」 K「サミーが亡くなってから、リーは写真を撮らなくなって完全に無気力になっちゃう。とうとうアメリカ合衆国の最後の瞬間を見ていることへの絶望なんだと思う。彼女のモチベーションだった、アメリカへの警告が、ついに現実になり最悪の状況になったことへのショックなのかなと。自分自身は割と国家に対して信頼を置いている人間なので、国がああなったら立ち直れないと思う。彼女にそんな愛国心があるかはわからないけど、あのアパシーを個人的にそう理解しました。最後のジェシーのリーに対する態度、次の行動にすぐ移るところはちょっと理解しがたかったなあ」 S「ジェシーが戦場で写真を取り出してから、徐々にリーは撮影する量が減っていったのは、リーの使命がジェシーにどんどん乗り移っていったのではないかと。彼女の人格を引き継いだというか」 L「ジェシーの顔つきもだんだん変わっていって。彼女の成長を追っていましたよね」 S「この作品を通して戦場カメラマンの現地での動きみたいなものが分かって良かった。正直、自分も最前線で何が行われているかを見てみたいという気持ちになったし、戦場カメラマンに抱く一種の憧れみたいなものも理解できました」 K「最後までわからないのは、アメリカが何をめぐって内戦しているか。いきなり首都陥落が目前という前提で話が始まるので。そこは、監督にとって大事なことではないのだなと。個人的にサミーが好きな登場人物で、太った老体を押してでも、DCに向かったというのは、アメリカのゴールデンエイジを知るものとして、最後を見届けなければと思ったのでしょう。1982年生まれの自分は、アメリカが光り輝いた最後の時代を見ているし、裏を返せば冷戦でソ連が潰れたからアメリカが一強になったのも知っている。アメリカの国会議事堂が襲われるとか、こんなにもバラバラになっているというのは、高校生の自分が知ったら信じられないと思うんです。サミーは、ボロボロになったアメリカに、自分の人生を否定されたような気持ちなったのではないですかね。なので命懸けの姿には、勝手に胸を打たれましたね。サミーが母国の崩壊していく姿を見つめている心情は、きっとウクライナ人が自分の国を見ている気持ちと同じなんだろうなと。普通に生活できていた場所が廃物的なものに置き換わっていく。ドンバス地方を除けば、ウクライナの人たちはここ30年は平和に暮らしてきたわけで。ガザの人たちは、ずっと戦争状態の中だったので、もっとその喪失は長引くものなのかもしれない。サミーは、ゴールデンエイジの日常を内面化した人の辛さみたいなのを感じました」 S「サミーとは年齢こそ違いますし、私もそういったことは縁遠いことだと思っていたんです。でも最近私のルーツであるバングラデシュで学生が主導する革命が起きました。以前の政権を追いやって、現在は臨時政府で対応していて国が不安定な状態です。イスラム教が大多数の国をルーツに持つ女性としては、これからの政治的状況によっては立場が弱くなる可能性もあって、日本という先進国で育ってしまった自分としては非現実的なことに感じました。よく考えるのは、バングラデシュはインド的な文化の上にイスラム教があるので、文化と宗教どちらが強いのだろうということ。ここ数年は子供時代に過ごした国の景色が大きく変化してきていました。服装は基本サリーだったのが、イスラム色が強くなっていく過程でヒジャブの人が増えていっている。サリーを着た美しい女性たちを見るのが好きだった身としては、文化ごとひっくり返されて奪われているような気持ちになる。まるで知らない国になっていく様子を見ているいまは、サミーの感覚に近いかもしれません」 K「世界をひっくりかえされる側の悲しみは計り知れない。ロシアのウクライナ侵攻初頭の2022年3月にウクライナのキーウ近郊のブチャとその周辺で、ロシア軍が民間人を殺害したのも、NHK『映像の世界 バタフライエフェクト』的なモノクロの映像の世界で見ていたことが、2022年に行われているのも衝撃的でしたし。ブチャは平穏な住宅街だったので、本当にショックが大きかったです」 S「文明が進化するとともに、人々のリテラシーは良くなって、頭脳も賢くなっているはずなのに、それでもこのような戦争や殺戮を繰り広げることができる。実は後退しているんじゃないかと感じることすらあります」 L「アメリカが舞台でないと成立しなかったと思うのは、アメリカは南北戦争以降、自国が戦場になっていないんですよね。もし舞台が日本やバングラデシュだったら、生々しすぎるというか。ここまで、多くの人の共感を呼べなかったのではないでしょうか」 K「内戦が起きても、アメリカは正規軍と西部連合それぞれの戦闘力がすごいので、海外から攻め込まれることはない。ロシアや中国もですが。大国において最大の敵は自国だという。アメリカは銃を捨てられない国だから、一度火がつくと本当に大変なことになる。あまり世界の先行きが明るいとは思えない結末でしたが、多くの人に見てもらいたい作品ですね」 S「結末は、スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』感もありました。ピュアな若者がまた一人、戦場に染まってしまったという意味で」 K「戦争映画は、ヒーローものになりがち。特にアメリカ映画は美談にする傾向があります。最近は、ロシアも薄っぺらいヒーローものの戦争映画を作っていて、まあつまらないですね。あとは、ベラルーシの会社が戦争を題材にしたゲーム『ワールド・オブ・タンクス』を作っています。ロシア国防省とタイアップして、ロシア国防省の中央軍事博物館には『ワールドオブタンクス』部屋があって、戦時下を体験できるという。このように、マッチョな感覚で映画を作るとヒーローやエンタメになる。または『博士の異常な愛情』みたいな悪いジョークみたいになるか。本作は一味違っていて、どこにも行き場はなく、一貫してどよ~んとしているんですよね」 L「中立的な視点で終始淡々と語られるので、ある種のアメリカのリアリズムを感じました。結末は、もう「各自持って帰って考えてください」って感じもある。そういう意味ではやはりA24らしい作品だったのかも。新しい感覚の戦争映画として、意義深いと思う。一見面白そうなSFだけど、後味の悪さで内省させてられるんですね」 K「本当に。『トップガンマーベリック』と同時上映したほうがいい(笑)。最後の結末は、「この愚かな戦争をやっているのはお前だ」と突きつけてくる感じすらある。戦争映画のメッセージの届け方として「戦争は悲劇だからいけないんですよ」という描き方があります。反戦映画って往々にして主人公や見ている人は被害者。あの4人組は被害者ではなく、戦争に対して客体ではなく主体で自分たちが戦争の一部になっていますよね。だからこそ、見た人は自分の物語としてしまう後味の悪さがある。珍しい印象を残す作品かもしれません」 L「リーは最年少でマグナムに所属したという設定もあり、監督の戦場カメラマンへの憧れと尊敬、あとちょっとした哀愁を感じる。また、ああいうジャーナリズムがこの世の中に戻ってくるのか。それに関しては描かれないことが、一番SFっぽいかも。アメリカの内戦の物語よりも、ずっと夢物語に感じます」 K「さっき話になったSNSは大手新聞社やTV局ができない発信方法だけど、人々の行動に関してまだコンダクトはできていないんですよ。それが今後作れたら、新しいジャーナリスト像が生まれるかもしれませんね」