韓国の「戒厳令」は、なぜ一夜にして潰えたのか? 背後にある「韓国が経験してきた30年の歴史」
左右それぞれの「揺り戻し」を乗り越えて
「タクシー運転手」や「1987」の制作が始まった朴槿恵政権末期は、反民主的政権に抵抗するろうそくデモの印象で語られがちだが、これは「記憶の闘争」の作用-反作用の過程として、もう少し長いスパンで捉える必要がある。 金泳三政権の1990年代半ば、対抗的な国家観に基づく死者の二つのカテゴリー(軍人と、軍人に対抗して死んだ者)が、どちらも等しく「国家」に殉じた「英霊」として祀られ始めた。〈友/敵〉に区分され、左右に宙吊りにされた死者たちの均衡関係は、進歩政権の10年間で大きく左に傾斜した。その揺り戻しが李明博政権の保守反動化として表出し、朴槿恵時代に大きく右に振り切れたとみるべきだろう。 まだしも李政権の時代には、分断暴力は一般市民の目に触れにくい場所で陰湿に行使された。デモ隊に浴びせる放水銃は誰も殺すことなく、ソフトに群衆を駆逐した。 ところが朴政権の時代になると、セウォル号事件の真相究明を求める遺族たちを弾圧し、デモ隊の老人に放水銃を執拗に浴びせて死に至らせるなど、分断暴力の本質がついに地金を表わす。そこに「崔順実ゲート事件」が追い打ちをかけ、朴槿恵政権は自壊したのだ。ろうそくデモはその最後の一押しだった。 ちょうど3年前の今頃、SNSで、経営難のため廃業した元自営業者のつぶやきを目にした。 「テナント料が上がり続けるのも私の能力不足のせいですか? 国民が反対している歴史歪曲じゃなくて、私たちの望むことをやってくれる大統領が必要です」 朴槿恵大統領が最優先においた政治課題は、国民生活よりも、「記憶の闘争」に勝利すること、それによる父の名誉復権だった。これは裏返せば、民主化運動の死者たちを「暴徒」「アカ」「従北」などと完膚なきまでに貶め、無数の犠牲の上に成り立った民主化の歴史を消去することである。 朴槿恵は歴史教科書国定化の理由を「魂の非正常化の正常化」と述べている。「魂の非正常化」とは左派偏向を指し、これを右に巻き戻すことが「魂の正常化」だというのである。 こうした便法は繰り返されてはならないと思う。 左に傾いたものを右に正す、そして、右に傾いたものを左に正す―――それでは、また同じ歴史を繰り返す。だが分断状況下で〈友/敵〉に区分された死者たちが宙吊りにされている限り、「記憶の闘争」に終息はなく、権威主義的な圧力と暴力が温存される。歴史が再びどちらかに傾けば、そこにまた新たな犠牲者が生み出される。 今年6月、「顕忠の日」の追悼辞で、文在寅大統領は「愛国に保守革新なし」「愛国は今日の大韓民国を存在させた全て」と演説した。 これは愛国に殉じた死者たちの二律背反を解消し、「記憶の闘争」に終止符を打つことで、大韓民国でありかつ統一祖国でもある、新たなかたちの国家に死者を「統合」させる、という決意表明である。 現在、文政権が進めている南北の対話と融和は、そうした文脈を踏まえて読み解くべきではないだろうか。
真鍋 祐子(東京大学教授)