【雨宮塔子アナ(53)】パティシエの元夫は今でも子育ての同志「夫婦としては続かなかったけど、人としては尊敬」|STORY
9月25日にインテリアをメインにしたライフスタイルブック「MY HOME,MY LIFE」を出版した雨宮塔子さん。思い切ったパリ移住から25年。結婚、出産、離婚など様々な人生経験を経て、たどり着いた今の住まい。ミニマルと自分らしさをうまくミックスしているインテリアには彼女自身の人生が投影されているよう。50代を迎えて内側から滲み出る輝きでさらに美しさを増した雨宮さんに現在過去未来を余すことなく語っていただきましたが、誠実で率直、それでいてパッション溢れるチャーミングなお人柄で、まさに理想の大人の女性像を体現してくださっています。 【写真あり】雨宮塔子アナ(53)のチャーミングな笑顔 ■雨宮塔子さん 【profile】1970年、東京都生まれ。1993年にTBSに入社後、「チューボーですよ!」「どうぶつ奇想天外!」などの人気番組で活躍。1999年にTBSを退社し、単身パリに渡りフランス語や西洋美術史を学ぶ。現在はパリを拠点に執筆活動のほか、美術番組の出演やYouTube等で現地情報の発信を行うなど幅広く支持を獲得。9月25日にはインテリアをメインにしたライフスタイルブック「MY HOME,MY LIFE」を出版。
元夫は今でも子育ての同志。人として 一生嫌いにならない自信があるけれど 男と女としては・・・
元夫(世界的パティスリー「SADAHARU AOKI」のオーナーパティシエ・青木定治氏)はとても芯の強い人。そして、仕事にも子育てにもはっきりとした意見があリます。離婚すると、子育てのことなどの相談事は、コミュニケーションの機会をあえて設けなければ話し合えないので、むしろ今の方がよく話をしますし、アドバイスももらっています。 私が「ニュース23」を担当するために日本に帰国した3年間は、パリで彼が子どもたちの面倒を見てくれました。彼は当時再婚していたので、パリに残ることを決めた子どもたちにとってはイレギュラーな環境でした。娘は当時思春期で、女同士ということもあって、小出しに心情を吐露するので、そんなに溜めずにいてくれたと思いますが、息子の方は弱さを見せまい、母親に心配かけまいと思いを口にすることを我慢してしまって、それがボディブローのように徐々に効いてくる感じでした。電話でも「大丈夫だよ」と穏やかに言うのですが、よく耳を澄ますと必死にこらえている嗚咽のような息遣いが聞こえてきて、胸が潰れることもありました。そんな子どもたちに向き合ってくれた青木には感謝しています。夫婦としては終わってしまったけれど、親としての絆は昔も今も変わらないし、人として心から信頼・尊敬しています。「そんなに人として好きならなぜ別れなきゃならないの?」「いったい何が不満なの」と親にも言われましたし(笑)、離婚しないで済むならそれに越したことはなかったと思います。でもフランスはTHE カップル文化。どんなシーンでもカップルで出席するのが大前提なので、授業参観やディナーなど、いろんな場面で父親として夫として、そばにいてもらえないことに、耐え切ることができませんでした。 仕事に情熱を注ぐ彼を尊敬し、応援したい気持ちがある一方で、パートナー不在の家庭でワンオペし続けることに限界を感じてしまったんですね。ここでも自分の気持ちに嘘はつけませんでした。夫婦として男と女としての関係が継続できないなら解消するしかない、と思ったんです。今でもすごく助けてくれるし、優しい彼ですから、周りからも「ヨリを戻したら?」と言われるんですが、お互いに男と女としてはもう難しいのでしょうね(笑)。アムールの国・フランスにいるのでお互い、枯れきれないというか。男女の愛情に関しては真剣かつシビアなんでしょうかね。仮面夫婦なんてありえないって感じです。