ホンダのスクーター第2弾「ジュノオM型」は「E-クラッチ」の元祖? 世界GP初優勝の年に市販した変速機の革命
スクーターの概念を変える可能性を持っていた意欲作
戦後とともに始まった国産スクーターの第1次流行期は、1970年ぐらいまで約20年ほど続きました。1959年のピーク時には自動二輪車全体の約15%である12.5万台が生産されています。当時は免許制度などの影響で、排気量は125ccから200ccが中心でした。原付スクーターが台頭する第2次流行期は、1980年代に入ってからです。 【画像】ホンダ「ジュノオM85型」(1962年型)の詳細を画像で見る(11枚)
1961年に登場したホンダ「ジュノオM型」は、そんなスクーター流行時の、ホンダのスクーター「JUNO(ジュノオ)」第2弾でした。 1954年に発売されたホンダ初のスクーター、初代「ジュノオK型」は、全天候型アクリルルーフ+プラスチックボディという斬新な新機構を満載したモデルでした。 その2代目となる「ジュノオM型」の外観は、現代のビジネススクーター的で初代とは大きく異なります。そしてその見どころは、エンジンや変速機などのメカニズムにありました。 今も昔も、スクーターはシートの下付近にエンジンを搭載していることが常識です。世界で最も有名なイタリア製のスクーターは、後輪軸上にエンジンを搭載しています。 一方「ジュノオM型」のひとつ目の特徴である空冷4ストローク水平対向2気筒OHVエンジンは、ステップボード前方(ハンドルの真下)にレイアウトされています。 当時、国産スクーターでは少数派の4ストロークで、さらに水平対向2気筒エンジンのスクーターは、世界でも類を見ないと思われます。 ちなみに、世界で初めての量産の排気量125ccの2気筒エンジン車は、1958年発売のホンダ「ベンリイC90」です。その3年後のスクーターに水平対向2気筒エンジン投入するとは驚きです。
そして「ジュノオM型」で最も注目すべきは、ホンダ初の二輪車用自動変速機(いわゆるオートマ、ATのこと)です。当時の国内各社のスクーターは、Vベルトやトルコン(トルクコンバーター)、自動遠心クラッチ(クラッチレバー操作併用のものもあり)などのさまざまな自動、または簡単な操作の変速装置を装備していました。 「ジュノオM型」で開発された変速装置「HRD」(Honda R&Dの頭文字)は、いずれの変速装置とも違う、世界的にも珍しいものでした。原型はイタリアのバダリーニ社が開発した無段変速機「HMT(Hydraulic Mechanical Transmission)」で、特許権を取得したホンダが独自に改良を加え、水平対向エンジンと組み合わせました。 構造的にはエンジン出力を油圧に変換し、回転板が任意の角度で変速比を発生させ、再び回転力に変換して後輪へ出力されます。 「ジュノオM型」では左手グリップを捻ることでクラッチ操作なしにローギアサイド/ハイギアサイドへと任意に変速できました。ただしATとは違い、常に左手で変速操作する必要があり、運転には慣れが必要だったようです。 HRDは理論的にはトルコンよりも出力伝達効率に優れていました。エンジンも当時としては高出力の11PSを発揮しましたが、オイル漏れの懸念から高圧な油圧作動が達成できず、その伝達効率は当初の想定を大幅に下回っていました。 最初に排気量124ccのM80型、その後に169ccのM85型を発売しましたが、結果的に1963年までの3年間で5880台を生産するに留まりました。