「どうすれば邦子は総理になれますか」と周囲に相談 火災で亡くなった猪口邦子議員の夫・孝さんの“愛妻家”エピソード
自民党所属の参院議員、猪口邦子氏(72)の自宅が11月27日夜、火災に見舞われた。彼女とその次女(33)は外出中で難を逃れたが、長女(33)と夫で国際政治学者の猪口孝氏(80)が焼死した。愛妻家として知られた孝氏の逸話を関係者が明かす。 【写真をみる】タイルは剥がれ、室内は黒焦げに…凄惨な火災現場 ***
炎が立ち上がったのは、6階建てマンションの猪口家が暮らしていたペントハウスからだった。 「実況見分の結果、応接室の燃え方が激しかったことが分かりました。警察は失火と見ていますが、依然として原因は特定されていません」(社会部記者) 猪口夫妻を知るメディア関係者によれば、 「脚を悪くしていた孝さんはつえを突いており、そのせいで逃げ遅れてしまった可能性も考えられます」
出会ってすぐにプロポーズ
東京都文京区小石川に立つこのマンションは、孝氏が2005年まで教授を務めた東京大学東洋文化研究所の徒歩圏内にある。最上階を占める猪口家の床面積は約180平方メートルで、1995年の購入当時、価格は2億円超ともいわれた。 「アメリカのホームパーティー文化を体験しているお二人は、自宅に仕事仲間を招くことが度々あったそうです。それ以外でも、お二人は社交の場によくそろって顔を出されており、仲むつまじい夫婦としてつとに有名でした」(前出の記者) 二人が結婚したのは76年。当時、邦子氏は上智大学の大学院生。孝氏は米マサチューセッツ工科大学で政治学の博士号を取得した後、上智大外国語学部で助教授を務めていた。 「孝さんはある教授から邦子さんを紹介され、すぐにプロポーズしたそうです。邦子さんのほうも運命を感じて、即座にOKしたといいます。その後、彼女は米イェール大学などに留学し、夫妻は共に国際政治学の研究者として活躍しました。05年、邦子さんが衆院議員に初当選し、政治家に転身してからは、孝さんが双子の娘さんの食事を作るなどして、多忙な奥様を支えました」(同)
「どうすれば総理になれますか」
孝氏が手がけた叢書〈シリーズ国際関係論〉(東京大学出版会)の第1巻を執筆した、東京外国語大学大学院の篠田英朗教授(国際政治学)はこう語る。 「孝先生は戦後の国際政治学の分野において、海外で博士号を取った最初の世代です。海外を熟知した上で日本独自の研究を推し進めた、トップレベルの学者でした。彼にとって邦子さんはお弟子さんのような存在でしたが、学会ではそんな素振りを見せることなく、対等な研究者として接していました」 孝氏は00年、英ケンブリッジ大学出版から学術雑誌「Japanese Journal of Political Science」を創刊した。これに寄稿した米ルイジアナ州立大学名誉教授の賀茂美則氏(家族社会学)によれば、 「孝先生は子どもがそのまま大人になったような天真らんまんさをお持ちでした。研究のアイデアを思いつくたびに、“ねえねえ”と声をかけてくださったあの笑顔が忘れられません」 前出のメディア関係者は夫妻をこうしのぶ。 「社交的な邦子さんは政界の内外に大勢の友だちがいる人気者ですが、いささか浮世離れしており、政治家としてさほど期待されてはいません。以前、総理大臣を目指していると言ってはばかりませんでしたが、正直、なかなか難しいだろうとされていました。ですが、孝さんだけは“どうすれば邦子は総理になれますか”と、真顔で周囲に相談していました。妻を公私にわたって支えた心優しき夫だったと思います」
「週刊新潮」2024年12月12日号 掲載
新潮社