外国勢力が突如襲撃!「道長の甥」の藤原隆家はどう戦ったか。九州で「刀伊の入寇」が起きる
隆家は機を見て、勘解由小路から北を目指し、御門近くまで威勢よく突き進んでいきます。しかし、花山法皇方の防備がかたく、通過することはできず、退いていきました。 ■あっさりとした隆家の性格 退却していく隆家方を見て、花山法皇方の者たちは、どっと笑ったそうです。そのようなこともあり、後日、隆家は「やはり、王威には恐れ入った。御門の前を通ることはできず。とんだ恥をかいたもの」と笑ったとのこと。負けてもジメジメしておらず、あっさりと気持ちのよい隆家の性格がわかります。
1019年12月、隆家は帰京。刀伊を撃退した功績から、隆家を大臣や大納言にという声もありましたが、隆家は眼病が理由で内裏への出仕を控えていたため、結局何も動きはありませんでした。1037年、隆家は再度、大宰権帥に任命されます(1042年辞任)。そして、1044年に66歳で亡くなりました。 (主要参考・引用文献一覧) ・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973) ・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・勝倉壽一「『大鏡』道隆伝における隆家の位相」(『福島大学教育学部論集』第74号、2003) ・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007) ・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010) ・倉本一宏『藤原道長の日常生活』(講談社、2013) ・倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』(講談社、2013) ・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
濱田 浩一郎 :歴史学者、作家、評論家