福島に向けられた罵詈雑言。作品に記録した高校生は、あえて「フクシマ」と向き合った
あえて「フクシマ」に向き合った
小中学校の震災教育で学び、そして高校生になってから参加したワークショップで、原発事故の避難者から郷里を離れた悲しみを直接聞いてきた。避難誘導中の警察官が津波にのまれた場所を訪れた時、災害の恐ろしさや家族を失う悲しみをより大きく実感した。 「そんな経験をした福島の人たちが、なぜ今になっても誹謗中傷されなければならないのか」 過去の大きな悲しみを抱えながらも、震災と原発事故の前よりパワーアップした福島にしていこうと、たくさんの人々が活動していることも知った。 「復興を“望まない”人にとって都合が良いカタカナの『フクシマ』であり続ける限り、福島は一歩も前に進めないのではないか」 そんな思いから、今回「フクシマ」にあえて向き合うことにした。ひどい言葉の数々に恐怖を感じながらも、「私は見逃さない」と文字を記録するようにパネルに貼り付けていった。 ただ、心ない言葉をそのままにしておくのは福島や福島県民にとっても辛い。私と福島展に訪れた人たちに「あなたの福島」を自由に書いてもらい、その言葉を「フクシマ」の上に貼り付けてもらうことにした。 「偏見がなくなりますように」「復興が進んできて、明るく、活気が出てきた」「明らかに新しい福島に生まれ変わっている」ーー。 割れた窓や落書きをそのままにしない「割れ窓理論」のように、ネガティブな言葉で埋め尽くされていた「フクシマ」は大勢の人たちの手によって上書きされ、みるみるうちに人々が実際に感じる「福島」へと変わっていった。 「悲惨、かわいそう、危ない……。これしか知ろうとしない人たちに、今の福島の歩みを感じてほしかった。いろんな人の手で、未来の福島を表現してほしかった。そして、言葉がだんだんと穏やかなものに変わっていく様子を、福島の人たちに感じてもらいたかった」 なかでも西田さんが嬉しかったのは、「福島の食べ物が一番おいしい」という言葉だった。震災と原発事故の後、実家から福島のお米を送っていた人に「福島の米なんて送らないで」と言われた経験があったという。「シンプルな応援だけど一番心に残った」