【連載 泣き笑いどすこい劇場】第29回「妻」その1
毎日、電話を欠かさず、夏の北海道巡業のときは、青森から青函連絡船に乗る前も、函館に着いた直後も受話器を握った
寒さのピークとはいえ、地方巡業のない初場所後というのは、大相撲界の結婚シーズンです。 引退後に婚活に力を注いでいる者もいれば、婚約発表したり、結婚式を挙げて熱々ぶりを周囲に振りまく力士もいます。 誰だ? 結婚は地獄の始まり、と言っているのは。 結婚っていいものですよ。 愛妻のおかげで功なり、名遂げた力士もいっぱいいます。 そんな妻にまつわる面白エピソードを集めました。 ※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。 【私の“奇跡の一枚” 連載50】 値千金!『相撲人』の笑顔 男の本当の強さと優しさとは 公私のけじめ 愛の力は偉大なり。優勝回数24回。「しびれ薬でも飲まさないとダメだ」と対戦相手を嘆かせたというエピソードを持つ横綱北の湖が現役時代、どうしても好きになれないものがこの世に二つあった。犬と注射だ。 犬を苦手にしている力士は意外に多い。現役時代、横綱キラーとして鳴らした竹縄親方(元関脇栃乃洋)もその一人で、拓大時代、夏合宿を張った北海道のスキー場で飼っていた犬に、毎朝、散歩に出かけるときに牙をむいて睨まれたのが、そもそもの始まりだった。 「後輩がその犬に指を噛まれているんですよ。自分も小さいときに噛まれたことがあります。あの合宿以来、犬を見ると反射的に尻込みするようになった」 という。 ところが、入門すると、悪いことに部屋に先代師匠(元横綱栃ノ海の春日野)が飼っていた犬がいた。 「ソイツがね。昼寝していると、足の裏をペロペロと舐めるんですよ。師匠がかわいがっている犬だから、蹴飛ばすわけにはいかない。あれには、ほとほと参りました」 と竹縄親方は話している。 北の湖の犬嫌いもこの竹縄親方に負けなかった。横綱になって5年目、5連覇して力士との絶頂期を迎えていた昭和53(1978)年9月30日、北の湖は当時24歳の石川とみ子さんと結婚した。とみ子さんの実家は川崎市内で料亭を営んでいた。晩酌人は春日野理事長(元横綱栃錦)夫妻で、招待客は1520人。そのお祝いのスピーチで、相撲放送でお馴染みだった北出清五郎アナウンサーはこんなエピソードを披露し、招待客たちの笑いを誘った。 「とみ子さんの実家では(小型犬の)ヨークシャーテリアを飼っております。ご存じのとおり、横綱は犬が大嫌いです。(とみ子さんの)お宅を初めて伺ったときも、犬が怖くて入るに入れず、30分あまりも入口の辺りをウロウロしていたそうであります」 対戦相手には鬼のように見えた北の湖だったが、このとみ子さんにはとても弱かったのだ。婚約以来、それこそ毎日、電話を欠かさず、夏の北海道巡業のときは、青森から青函連絡船に乗る前も、函館に着いた直後も受話器を握ったという。まだ携帯電話のない時代のことで、電話をかけるのもひと苦労のときに、である。 しかし、公私のけじめは厳しかった。結婚直後の九州場所、北の湖は痛風を発症し、6連覇を逃した。その場所後の冬巡業は沖縄だった。結婚後も自由にできる時間がなく、新婚旅行もお預けになったままのとみ子さんが巡業に出発する北の湖に、 「沖縄に一度も出かけたことがない。私も行ってみたい」 と甘えた声で言った。すると、北の湖は毅然とした声でこう言ったという。 「夢で行け」 この姿勢が数々の記録を打ち立てる大横綱にしたのだろう。この新妻を一人置いての冬巡業で猛稽古を積んだ北の湖は、翌昭和54年初場所、さらに春場所と2連覇している。もし九州場所で痛風になっていなかったら、前人未到の8連覇を成し遂げていたかもしれない。 月刊『相撲』平成25年3月号掲載
相撲編集部