J助っ人GKが日本を選んだ訳 “2度手術失敗”を乗り越え掴んだブラジル代表…「苦しんだ」紆余曲折なキャリア【インタビュー】
東京VのGKマテウスが幼少期やJリーグを選んだ理由を明かした
2020年1月にブラジルのフィゲイレンセFCから東京ヴェルディに加入した元ブラジル代表GKマテウスは、J通算166試合に出場しており、1993年の開幕初年度からJリーグに参戦している古豪の東京Vで歴代最多出場外国籍選手になっている。Jリーグ開幕時、人気の絶頂にあった東京Vだったが、その後は実力、人気ともに落ち、昨季まで15シーズンもの時間をJ2で過ごすこととなった。そんな苦しい時期も知るマテウスは、Jリーグと同じ1993年生まれ。昨季からチームの副キャプテンを任されている守護神は、名門復活に強い意欲を見せる。(取材・文=河合拓) 【写真】「日本にたった1つ」 ヴェルディの「エルメス製」キャプテンマーク そんなマテウスがキャリアをスタートさせたのは、11歳の時。ブラジルの名門コリンチャンスの育成組織に入ったが、14歳の時に大きな試練が訪れる。チームで練習をしていた際に、GKコーチがほかの選手たちよりもマテウスが疲れやすいことに気づき、「ちょっと検査をしてみろ」と声をかけたという。トップチームとは異なり、アカデミーの選手が検査を受ける回数は少なかった。「命に別条のある病気ではなかった」ことに加え、出場機会も得ていたため、しばらくは検査を行わなかったマテウスだが、より高いパフォーマンスを出すために検査を受けることを決意。その結果、ウォルフ・パーキンソン・ホワイト症候群と診断された。 「本当だと、いたってシンプルな手術で終わる予定だったのですが、自分の事例がちょっと珍しかったのか、2回失敗に終わってしまい、それで3回手術することになって、復帰まで1年くらいかかってしまいました」 体を万全な状態に整えたマテウスは、メキメキと頭角を現していく。U-20ブラジル代表にも選ばれ、10代の時にブラジルのA代表にも招集される経験をした。 「15歳くらいまでは、少しいろいろなところで苦しんだ時期もありましたけど、そこからは自分自身も少し成長を感じた部分もあります。当時はまだ年代別の代表というのはU-19からしかありませんでしたが、U-20ブラジル代表にも選ばれました」