J助っ人GKが日本を選んだ訳 “2度手術失敗”を乗り越え掴んだブラジル代表…「苦しんだ」紆余曲折なキャリア【インタビュー】
「すでに日本で伝統のあるクラブだということは知っていた」
将来を嘱望されていたマテウスだったが、なぜ27歳というキャリアの絶頂期に入るタイミングで、当時J2だった東京Vへの移籍を決めたのか。 「自分のキャリアをスタートさせたのが、コリンチャンスというビッグクラブでしたが、同時期にカッシオという2018年のワールドカップのメンバーにも選出された選手がいました。今ではコリンチャンス史上最高のGKとも評される選手です。彼とほぼ同時期に加入したほか、チームもクラブワールドカップに優勝するなど黄金期を迎えていて出場機会を得られませんでした。コリンチャンスでは7年間ベンチを温め続けて、おそらく公式戦は2試合くらいしか出ていなかったので、試合勘や自信を失っていくことが分かっていました」 そこでマテウスは「いい給料をいただけるコリンチャンスに残っていても良かったのですが、当時は給料が下がってでも出場機会がほしかったんです」と、ブラジルのフィエイレンセへ期限付き移籍する。そこでプレーしていた時に、東京Vからオファーが届く。「すでに日本で伝統のあるクラブだということは知っていましたし、東京のクラブということもあったので移籍することを決めました」と言い、当時すでに日本や東京Vについて、かなりのことを知っていてポジティブな印象しかなかったと説明した。 「ブラジルで日本でプレーした経験のある選手たちともプレーしたので、彼らからいろいろな話を聞きました。ワシントン、エジムンド、ジョルジ・ワグネル、フッキと東京Vだけでもブラジル代表の選手たちもプレーしていましたし、Jリーグに広げればさらにジーコやドゥンガといった世界的な選手もいました。名古屋にいたジョーも、コリンチャンスで素晴らしいシーズンを過ごしてから日本に来ています。彼らが移籍していたことで、偉大な選手が日本でプレーするというイメージがあり、自分の中には日本でプレーする憧れもありました。日本でやってみたいという気持ちもあったなかで、オファーをいただいて移籍しました。すごくいいイメージがありましたし、当時のブラジル人は、おそらく『ヨーロッパ以外の海外でプレーするならどこ?』と聞かれると、『日本』と最初に言っていたと思います。すごく惹かれるところがたくさんあって、いい機会でしたね」 かつてはブラジルで日本に行くと言えば、レベルの低いリーグにお金を稼ぎに行くというイメージがあったが、今はそのような印象は全くないという。「鹿島にいたダニーロやオズワルド・オリヴェイラ監督のように鹿島アントラーズにいた方々に、自分はコリンチャンスにいた時にお世話になりました。そういう偉大な人たちが来てJリーグが成長し、今の姿があると思いますし、感覚的には昔と今は全く違います」と語った。 そんなマテウスだが、6月2日の北海道コンサドーレ札幌戦でJリーグ通算150試合出場を達成。Jリーグで最も歴史の長いクラブの一つである東京Vで、在籍外国籍選手の最多出場記録保持者にもなっている。 「自分自身、ヴェルディに来た当初から『ここでプレーした外国籍選手の一人という形で終わらないぞ』と思っていました。そういう目標を掲げてきたなかで、ブラジルで聞いていたヴェルディのイメージと、来日してからのヴェルディのイメージが少し違うところもあり、その部分で難しさもありましたが、それでもこのクラブが持つポテンシャルを信じてやってきたことが、結果として結びついたのかなと思っています。今はいろいろな選手、クラブ関係者も、このクラブが持っている力、ポテンシャルを信じ始めてくれているなと感じています」 長くJ2を戦ってきたクラブの変化を強く感じているマテウス。自身の記録更新の話をしても、クラブの変化を喜ぶ「緑の守護神」は、まだまだ自身の記録を伸ばしそうだ。 [プロフィール] マテウス/1993年4月10日生まれ、ブラジル出身。ブラジルの名門コリンチャンスの育成組織出身でトップ昇格。出場機会を求め2部のフィゲイレンセFCを経て20年に東京Vへ完全移籍。代表では各年代でも招集され、10代の時にはA代表も経験をした
河合 拓 / Taku Kawai