「ウルトラマンシリーズ」でどれだけ儲かった?今1番キテる…円谷プロの経営を大解剖
帰ってきた円谷プロ、大逆転の奇跡はなぜ起きた?
なぜこうした「奇跡」が起きたのか。これはひとえに「経営・戦略が変わったから」と言わざるを得ない。4代目かつ8代目社長の一夫氏時代に、『ウルトラマンマックス』『ウルトラマンメビウス』などの制作資金の融資が返済ができずに2007年にTYOが8割を持つ親会社になっていた。そのTYOがバンダイに49%、その後フィールズに51%を売却。この2009年に円谷一夫氏が会長退任、円谷プロは完全に円谷一族の手を離れる(注12)。 そこからの15年はフィールズが経営を引っ張ってきたのだ。「IP戦略」を明確に掲げ、2011年に『月刊ヒーローズ』を展開し、雑誌メディアとしてウルトラマンを強く押し出す。2013年にはTVシリーズを復活させ、2014年には債務超過が解消。2017年に経営トップとしてディズニー・ジャパンのExecutive Producerだった塚越隆行氏を招へいし会長に、ユニクロやトミーインターナショナル社長だった永竹正幸氏を社長に、とトップ人事を一気に刷新。 2019年に悲願の著作権問題を一掃すると2021年に動画配信サービス「TSUBURAYA・IMAGINATION TSUBURAYA IMAGINATION」をスタートさせたほか、2022年に映画『シン・ウルトラマン』ではずみをつけ、ついには祖業であるパチンコ・パチスロのフィールズではなく、その規模が1/10に満たない円谷氏をリスペクトした「円谷フィールズホールディングス」へと会社名すら変更してしまう。 ここまでIPを前面に押し出した経営戦略は、それまでの半世紀の経営とは別物であり、一族の手を離れたことが結果としては「中国の奇跡」につながったと考えられる。 ツギハギ制作・ツギハギ経営だった一族経営時代が無駄だったとはもちろん言わない。円谷英二が赤字でもクオリティにこだわりつづけたDNA自体が円谷プロを牽引し、1990~2000年代に北米や中国でのブランドとなって浸透し、振り回された著作権闘争の中でもそれが死なずに残り火として保存されたところを、一気にフィールズ体制に息吹を吹き込んだことが現在の繁栄の根源となっている。 1960~2000年代の半世紀、円谷を支えたのは「メディアとのつながり」であった。東宝、TBS・日テレ・フジ・テレ朝そしてバンダイ、こうした企業とのつながりによって「創り続ける」ことに集中してきたプロダクションは、今や「IP・コンテンツ企業」として完全に再生している。キャラクターを生かすも殺すも企業次第、経営者次第。15年前は底値でたたき売りされるようなウルトラマンの惨状は、新しい経営・新しい市場によって本当に「帰ってきたウルトラマン」となったのだ。 注12:円谷英明.ウルトラマンが泣いている──円谷プロの失敗.講談社現代新書.2013年