競技転向してパリ五輪の日本代表に…立ち寄った自転車店で運命変わる
パリ五輪の日本代表の中には、もともと異なる競技に取り組みながら挫折し、一度は五輪を諦めた選手たちもいます。あることをきっかけに異なる競技を始めたら開花し、五輪の代表に…。その運命の場所は偶然立ち寄った自転車店でした。
■ボート競技で強化選手に選ばれるも…
パリ五輪・自転車競技に出場した太田海也選手。実は6年前にはボート競技「ローイング」の選手でした。日本大学に所属して日本代表の強化指定選手に選ばれるほどの実力の持ち主でした。 しかし、大学入学から7か月後、太田選手は誰にも告げず、大学の寮を飛び出し、そのまま地元・岡山に帰郷したのです。かつて、日本テレビのインタビューに、こう答えていました。 「自分の実力では厳しいんじゃないかなって悟っちゃったというか、逃げ出したって」 行かせてもらった大学も黙って中退し、親にも合わせる顔がないと、実家に帰ることができなかった太田選手。せめて、経済的にも自立しようとアルバイトを探していた時、偶然、自転車ショップに立ち寄ったことが運命を変えました。
■自転車店のオーナーに声をかけられ…
「車に乗るお金もないし、ためたお金で自転車を買いに行こうと思って。ボートの時に体を鍛えていたので、県内だったら(自転車で)どこでも行けると思って」(太田選手) しかし、店に並ぶのは高額なものばかり。その様子を見た自転車店のオーナーが「店でアルバイトすればいい」と声をかけてくれたのです。 自転車店で働いているうちに、店の仲間と自転車の大会に参加する機会が訪れました。初出場の太田選手でしたが、なんと優勝を勝ち取ります。この時、太田選手が思い出したのが、ボート競技で経験した「勝った時の喜び」でした。 人生をかけて自転車競技を突き詰めていきたい。プロになって自転車で食べていきたい――。 そう決心した太田選手は2021年、日本競輪選手養成所に入学すると、直後から、そのポテンシャルを発揮。原則10か月間の訓練が義務付けられている中、圧倒的な成績を残したことで、特別に7か月で卒業を果たし、プロになると同時にナショナルチーム入り。国際大会では世界ランキング1位の選手を抑えるなどして、競技開始からわずか2年半でパリ五輪の金メダル候補に躍り出るまでになりました。 「ボートっていう競技に出会って、自分と向き合って日々成長していくのが、自分の中ではすごい楽しかった。真剣に楽しんだからこそ、こっちに移行してきて、楽しいを追い求めた結果、ここにいるのかな」(太田選手)