競技転向してパリ五輪の日本代表に…立ち寄った自転車店で運命変わる
■競泳で伸び悩み…「一番」を目指して自転車に転向
同じくパリ五輪の自転車競技に出場した梶原悠未選手も、実は高校3年生まで競泳の選手として活躍していました。 全国大会で表彰台に上がるほどの実力がありましたが、どうしても一番にはなることができなかったといいます。 負けることが大嫌いで「一番になりたい」と思った梶原選手が、高校入学と同時に入部したのは、全く未経験の自転車部。 その理由について、梶原選手は自身のYouTubeで明かしていました。 「高校入学後、競泳と、もう一つやる競技を考え始めました。母に相談したときに、自転車競技どうかな、陸上部と迷ってるんだけどって聞いたら、体一つで戦う競技(競泳や陸上)よりも、自転車っていう新しい機材を使うスポーツに挑戦してみたら、私の可能性が一層広がるんじゃない?とアドバイスをもらって、母に背中を押してもらって」 全くの初心者だった梶原選手ですが、高校入学からわずか2か月後に行われた全国インターハイに出場を果たします。初のインターハイでは落車し、涙をのみましたが、悔しさをバネに努力を続け、ジュニアアジア選手権では5種目で優勝。ジュニア世界選手権大会でも2年連続で銀メダルを獲得するなど、自転車選手として次第に、その名を世界にとどろかせていきました。 梶原選手の名前が日本でも広く知れ渡ったのは、3年前の東京五輪。日本の女子選手としては初めて銀メダルを獲得し、喜びを語っていました。 「とてもうれしい気持ちで、いっぱいです。夢の舞台でメダリストになることができて、とても感慨深いです」 パリ五輪では、すでに自転車競技・チームパシュートに出場し、日本新記録を叩き出しましたが、惜しくも予選敗退。11日に行われる自転車競技・オムニアムにも出場予定で、メダル獲得が有力視されています。
■料理研究部に入部予定も…恩師の言葉を信じウエイトリフティング部へ
日本の女子ウエイトリフティング界をけん引した五輪メダリスト・三宅宏美さんの後継者として注目を浴びる鈴木梨羅選手。鈴木選手の出身地・千葉県白井市の公式ホームページには、鈴木選手が五輪代表に選ばれるまでのエピソードが、本人の言葉で紹介されています。 幼少期から水泳や剣道など、いくつものスポーツを経験した鈴木選手。しかし、なかなか結果が出ず、高校入学後は「料理研究部」への入部を考えていたといいます。ところが、進学した高校に「ウエイトリフティング部」があったことで、鈴木選手のアスリートとしての未来に一筋の光が差しました。入部の経緯については…。 「高校入学までは未知の競技でしたが、階級制であること、高校で始める選手が多いと聞き、小柄な自分でも戦えるのではないかと感じたからです」(鈴木選手) 身長146センチと小柄の鈴木選手は、体格がものをいう競技では悔しい思いをしてきましたが、階級制のウエイトリフティングであれば「戦える」と感じたといいます。何より、恩師から「鈴木は強くなれる、全国優勝を目指せる」と言われたのがうれしく、自信を持つことができたきっかけだったと振り返ります。 2年後の全国高校選抜大会では見事、初優勝。国体出場をきっかけに、オリンピック選手と一緒に練習する機会に恵まれ、五輪を意識するようになったといいます。 ウエイトリフティングは「やっと出会えた、自分が輝ける場所」と表現する鈴木選手。パリ大会では惜しくもメダル獲得とはなりませんでしたが、次回のロス五輪でのメダルが期待されます。