能登半島地震から3か月「希望が見えない悩みに耐え」元青年海外協力隊員が見た輪島
学校体育館に100人の被災者
神戸:体育館には、どのぐらいの人がいるのですか。 小田:小学校が100名ぐらい、高校も100名ぐらい。中学校はちょっと大きな規模で、2つの体育館と校舎を使って300名近くの避難者がいました。 神戸:4月から学校生活が始められる状態ではないのですか? 小田:輪島中学校の3階は中学校が使うんですけど、2階は輪島市内の全ての小学生の面倒を見る、という話です。 神戸:現場は、水の融通がきくようになったそうですが、まだまだ異常な状態がずっと続いているんですね。 小田:そうですね。コンビニエンスストアは、朝の8時から昼の3時までオープンしていますが、「なかなか買い物に行けない」と言う方がたくさんいます。避難所では物資はある程度整っているので、どうにかこうにか生活できていますが…。
「言葉が見つからない3週間」
神戸:小田さんは、どんな支援をしていたんですか。 小田:最初に行った時は、避難者の方たちはどうしようもない状態だったと思うので、避難所の掃除とか、話を傾聴して少しでも元気になってもらおう、と。 小田:3月に行った時は、自分たちでいろんなことをやってもらう形がどんどん広がってきていて、「掃除も一緒にやりましょうか」とか「グループで順番を決めてやっていきませんか」と。我々支援者に頼るのではなく、自分たちで避難所の運営もしていくようにシフトしているところです。今から仮設住宅に移る方がいるので、今後は仮設のコミュニティを作っていくことに、支援をシフトしていかないといけないと思っているところです。 神戸:環境自体が変化しているんですね。 小田:避難所などでも何もせずにボーッとしているように見えるんですけど、それは一つの場面をカットしただけ。日常は、家に戻って整理をして、戻ってきてホッとするところが避難所じゃないかな。支援する立場で現地にいる我々は、彼らが少しでもゆっくりできる環境を作るのが必要じゃないかなと感じましたね。