能登半島地震から3か月「希望が見えない悩みに耐え」元青年海外協力隊員が見た輪島
RKBラジオ
能登半島地震から3か月が経過したが、被災地ではいまだ厳しい生活が続いている。JICA(青年海外協力隊)の経験を生かして石川県輪島市に支援に行った、福岡市の小田哲也さんが4月9日、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演し、現状を伝えた。 【写真で見る】能登半島の被災地にボランティアに行った小田哲也さん
フリースクールの代表を務めながら
神戸金史RKB解説委員長(以下、神戸):能登半島地震から時間が経ってきましたが、大変な状況が続いています。きょうは、能登半島の被災地にボランティアに行った小田哲也さんにお話をうかがいます。小田さんは学校に行かない選択をした中高生の居場所として、福岡市でフリースクール「箱崎自由学舎エスペランサ」の代表をしています。小田さん、おはようございます。 小田哲也さん(以下、小田):おはようございます。 神戸:能登半島地震の現場は、どちらに行ったんですか。 小田:輪島市の小学校、中学校、高校の避難所の運営を支援してきました。 神戸:3か月が経って、どんな状況でした? 小田:2月の半ばと、3月末に行ってきたんですが、状況はよくなってきているとは思うんです。水が通ったり下水管がうまく水を流せるようになったり。だけど、まだ避難者は「この先どうしたらいいのか」と、先が見えない苦労、希望が見えなくて悩んでいます。私は青年海外協力隊のOBで、いろいろなOBがそれぞれの専門職を活かしながら集まって、皆さんの話を聞きました。簡単に答えは出ませんが、皆さんがちょっとでも笑顔になるようなことができたらいいな、と動いてきました。
NPO法人箱崎自由学舎 ESPERANZA(えすぺらんさ) 小田哲也代表 1967年福岡市出身。大学卒業後、私立女子高等学校で教諭として7年間勤務。1997年に退職し、JICA青年海外協力隊員として南米コロンビアの少年院へ3年間派遣される。帰国後、JICA企画調査員として中南米諸国へ4年間派遣。2004年に帰国し、2005年より、学校に行かない選択をした中高生の居場所「NPO法人箱崎自由学舎ESPERANZA」を設立。