「メガネっ娘アイドル」歴20年の時東ぁみが「メガネキャラ」を封印し活動【防災士】【妊活サロン】を続ける理由
ルッキズムに関する社会の意識は、ここ数年で大きく変化している。見た目を一つの武器として勝負する芸能人も、変化への順応を求められて来た。そんな中、メガネキャラで一世を風靡した時東ぁみが、来年で「メガネっ娘アイドル」歴20年を迎える。 【写真】桐谷美玲、まさかの「黒ミニスカ&ハイソックス」姿をファン絶賛! そのメガネを通して見た、20年間の社会の変化とは。 前編記事『順風満帆の時期に「事務所を退社」4年半の「不妊治療」…「メガネっ娘アイドル」歴20年を迎える時東ぁみの《現在地》』に引き続き、本人に話を聞く。
メガネの過渡期に鮮烈デビュー
――時東さんは、2005年にグラビア界の登竜門ともいうべき「ミスマガジン」のオーディションで「つんく♂賞」を受賞し芸能生活をスタートさせました。昭和時代には、「ガリ勉」「どんくさい」「ダサい」イメージの強かったメガネでしたが、オーディション当時はメガネの立ち位置はどういったものでしたか? 時東ぁみ(以下、同):確かに私が幼少の頃は、メガネはネガティブなイメージを持たれていました。私はゆとり世代のど真ん中で、オーディションを受けた時代は、おしゃれなアイテムとして若い人が少しずつ使い始めていた印象です。 ――当時、メガネは既にネガティブな地位から完全に脱していた? ファンの方に「今まで、メガネはダサいというイメージを持っていました。それをオシャレなイメージにしてくれてありがとうございます!」と言われたことがあったので、過渡期だったと思います。 ――その過渡の一躍を時東さんが担っていた。 2006年の流行語大賞に「メガドル」(メガネっ娘アイドル)がノミネートされていて、もし大賞を受賞したら私が式典に呼ばれる予定だったようなので、その役割を担えていたのかなとは思います。 ――メガネのあり方を変化させた人物ですね。 そこまで大袈裟だと、恐れ多いです。ただ、私はずっとスポーツをやっていて、芸能界フットサルチームでは、スポーツゴーグルをかけてキーパーをしていました。そこから「メガネなのにスポーツもできる」というギャップでファンになってくださった方も結構いたので、メガネの「勉強熱心で運動が苦手」というイメージを少しは変えられたかなと思っています。