《ブラジル記者コラム》南米で「戦争屋」と呼ばれた男=軍事独裁政権を支持したキッシンジャー
アルゼンチン「汚い戦争」を容認
キッシンジャーは、アルゼンチン軍事政権が起こした「汚い戦争」(スペイン語: Guerra Sucia)(1976―1983年)にもお墨付きを与えていた。アルゼンチンの軍事独裁政権は反政府運動家鎮圧を国家再編プロセスと称して暴力、迫害、拷問、失踪などのあらゆる超法規的手段をとった。 中には、反体制活動家を生きたまま飛行機から海に投げ込む「死の飛行」などの残虐行為まで行われていた。その犠牲者には労働組合員、学生、ジャーナリスト、マルクス主義者やペロン主義者のゲリラ、その同調者など数千人の左翼活動家が含まれていた。 2016年2月13日付BCCワールド《物議を醸し続けるヘンリー・キッシンジャーの遺産》(4)には、この「汚い戦争」をキッシンジャーが黙認していたとある。 《機密扱いを解除された文書や伝記に基づいて記憶されているもうひとつのエピソードは、1976年にアルゼンチンで起こった軍事クーデターへの参加である。 国家安全保障アーカイブの機密解除されたファイルによれば、キッシンジャーはアルゼンチン軍に対し、同国のゲリラや左翼運動に対する弾圧を指して、「汚い戦争」を一刻も早く終わらせるよう促した。 1976年のクーデターの1カ月後、キッシンジャーは当時のアルゼンチン外相セザール・グゼッティに、「彼ら(軍部)に成功してほしい、早ければ早いほどいい」と語り、同国における人権侵害の疑惑をごまかした。アルゼンチンの軍事政権時代(1976~1982年)に失踪した人数は8千~3万人と推定されている》 つまり「超法規的処置(処刑)を早く終わらせろ」というのは、その行為を「辞めろ」と言っているのではなく、「早く始末しろ」と促しているのだ。
「超法規的手段(処刑)を引き続き使用せよ」
当然のこと、キッシンジャーはブラジルにも深く関係した。30日付G1サイト《キッシンジャーは独裁政権を支持し、冷戦時代にブラジルを米国の同盟国に変えるために尽力》(5)には次のような記述がある。 《たとえば、当時のCIA長官が作成してキッシンジャーに送った1974年のメモでは、エルネスト・ガイゼル将軍が大統領在任中に敵対者の処刑を許可していたことが明らかになった。 この文書は2018年に米国政府によって公開された。文書には、軍がブラジルは「テロリストと破壊勢力の脅威」を無視することはできず、「危険な破壊勢力に対しては超法規的手段が引き続き使用されるべきである」と述べたことにも言及している。 文書によると、処刑には最終的にガイゼルの後を継いで大統領となったジョアン・バプティスタ・フィゲイレド将軍の承認が必要だという。