【厩舎のカタチ】厩舎の行く末を決めた出会い ~友道康夫調教師~
【厩舎のカタチ/友道康夫調教師】
友道厩舎にまた一つ、コチョウランの花が届く。 「馬もユタカも、本当にすごいよね」 ドウデュースが天皇賞・秋を勝利した3日後、友道康夫調教師は感慨深げに振り返る。この勝利によってJRA・GⅠの舞台で咲かせた大輪の花は、20の大台に乗った。 友道師が初めて華やかな表彰台に立ったのも、天皇賞だった。アドマイヤジュピタで制した2008年の天皇賞・春。02年11月の開業から5年半後のこと。だが、その第一歩は開業年の夏にさかのぼる。 調教師試験に合格後、調教助手時代に所属していた松田国英厩舎に、技術調教師として引き続き籍を置いた。夏の北海道開催期間中、馬を見に行ったノーザンファームに、近藤利一氏の姿があった。牧場関係者から紹介すると声をかけられたが、一度は固辞。相手は〝アドマイヤ〟の冠で一時代を築く大馬主。恐れ多かった。背中を押されるように促され、わずかなあいさつを交わした。 その直後、事態は急を告げる。現役の新井仁調教師が急逝し、技術調教師の中から抽選で、11月に開業することが決まる。慌ただしい準備の折、当時ノーザンファームの場長だった秋田博章氏から、近藤氏の言伝を耳にした。「全面的に面倒を見てやるから」。約束は近藤氏が亡くなるそのときまで続き、師は馬主の真髄に触れた。 あの日、あいさつをしていなければ…。牧場、馬主からの信頼と栄光を勝ち取るのに、時間がかかったかもしれない。近藤氏のほかにも「松田厩舎の助手時代からとてもお世話になった」金子真人氏や、ハルーワスウィートから続く佐々木主浩氏ら、恩に報いる中で結果を残し、一つひとつの縁を強固なものにしていった。 その一人に株式会社キーファーズの代表取締役社長・松島正昭氏がいる。18年末、松島氏の所有馬の預託話を、武豊騎手から持ちかけられた。いずれ機会があれば…という認識であったが、その機会はすぐさまやってきた。翌年明け、まだ厩舎が決まらぬハーツクライ産駒の2歳馬を打診されたことで、運命が動き出す。その初めての管理馬、マイラプソディと友道厩舎は松島氏に初のJRA重賞タイトル(京都2歳S)をプレゼント。そして再び依頼された2頭目のハーツクライ産駒こそ、ドウデュースである。