保護されるサルと殺されるサル 交雑種57頭はなぜ殺されたのか
私たちはどう自然と向き合うべきなのか
4-2. 対策への社会的合意 ── 科学か価値か アカゲザルと交雑種サルの根絶を求める科学者たちは、この問題についての科学研究と社会教育を進める必要性を主張する(*15)。交雑種による生態系影響など、交雑種サルが生態系や人間の生命・生活に影響を与えるリスクを解明する努力は必要である。起こりうる事態の予測と問題解決に使える知識・技術を増やし、より多くの人が理解することには一般的に考えて意味がある。 しかし、ここまでに述べてきたようにこの問題は有限の社会的資源を用いて人間が守るべき自然(種、生態系、生物多様性)は何かという人間と自然の倫理についての問題提起を含んでいる。科学的知識は私たちが倫理を考える助けにはなっても、倫理そのものを導いてはくれない。社会的合意の鍵は科学的知識の欠如を埋めることではなく、多様な価値観の折り合いをつけることにある。
社会的合意とは、白黒をつけることではなく、折り合いをつけること
5.おわりに 多様な価値観の折り合いをつけるためにはどうしたらよいのか。ここで十分に展開することはできないが、筆者が1つの手かがりとなると考えているのは、人間と自然(サル、環境)との関係の重層性に注目することである。 サルは人間にとって愛玩の対象であり、時に畑を荒らす害獣であり、またある時は信仰の対象になることもある。日本列島に固有の生物ということに特別な思いを抱く人も、そうでない人もいるだろう。それより先に解決すべきもっと重大な問題があると考える人もいるだろう。時と場合により、また人によりサルに対して抱く感情や判断は様々であるが、互いに矛盾するものも含めて、地域環境の中で積み重ねられてきた生活経験と知識がある。社会的合意とは、それら多様な経験や知識に白黒をつけることではなく、折り合いをつけることである。 それらを踏まえてサルを含む自然がどのようにあるべきかを再評価するならば、あるべき自然の姿は単一ではなく、その方法も画一的なものではなくなるだろう。あるところではこうだが、また別の場所ではこうだというような、モザイク的な自然の姿が描かれるかもしれない。それを具体化する際には、科学的知識や技術の力が欠かせない。 今回の処分は制度によって定められたものであったが、じつは制度の外にいるかのように思っている私たちに、自然とどう向き合うかを問いかけている。