「自分の文章を自分で読むのはすごく恥ずかしかった」著者・上白石萌音本人が朗読。話題を呼んだ初のエッセイ集『いろいろ』がオーディオブックで登場《インタビュー》
大の読書家、そして何より本そのものが大好きだという上白石萌音さんが、2021年9月に刊行した全篇書き下ろしによる初のエッセイ集『いろいろ』(NHK出版)は、たおやかでまっすぐなありのままの本音が綴られた文章で多くの人々の心を捉えてきた。
「何度も、何度も読み返しています」という読者も多いその一冊が著者本人の朗読によりAudible版としてリリース! ドキュメンタリー番組などでナレーションも多く務める上白石さんが自著の朗読のなかに込めたものとは――。 (取材・文=河村道子 撮影=島本絵梨佳)
初エッセイ『いろいろ』はあのときの自分にしか書けなかった
――『いろいろ』刊行時には「私というひとりの、本当に普通の人間が、悩んだり、もがいたりしながら、日々を生きているということが、恥ずかしいくらい正直に綴られています」とお話しされていました。ありのままの本音を綴られた一冊に刊行から3年の間、読者の方からどんな声が届いてきていたのでしょうか?
上白石萌音さん(以下、上白石) 先日、撮影で一緒になった十代の女優さんが「この本が大好きで、お芝居をするときはいつも読んでいるんです」と言ってくださったんです。「私、そんなに大事なことを書いたかな?」と一瞬思いを巡らせてしまったのですが、私もちょっとしたものに救われる瞬間があるので、その方にとって『いろいろ』がそういう本になれているんだ、ということが本当にうれしく、気持ちがシャキッとしました。 執筆から月日を経た今、読み返すと、「もっと書けたのではないか」という思いも正直、出てくるのですが、読者の方から「この本が好きです」というお言葉をいただくと、当時の自分を認めてあげたくなる気持ちになります。皆さんのお声から、自己肯定感ならぬ「他己肯定感」をたくさんいただきました。 ――執筆期間は「すごく幸せな産みの苦しみの時間」であったと。あれから河野万里子さんとの共著『翻訳書簡『赤毛のアン』をめぐる言葉の旅』(NHK出版)を刊行、『千と千尋の神隠し』のロンドン公演では英語を母国語とする観客を前に日本語のセリフで演じられ、そこで言語というものと改めて向き合ったとおっしゃっていました。そうして「言葉」というものと対峙する月日を重ねられてきたなかで、この一冊は上白石さんのなかでどんな存在の本になってきましたか? 上白石 当時は、なるべく飾らず、格好をつけずに書こうという思いのなか、取れたての鮮度みたいなものがある言葉を探しながら執筆と向き合っていましたので、もし今同じテーマで書いたら多分違う文章になるし、選ぶ言葉も違うと思うんです。そういう意味では何物にも代えがたい記録になっているのかなと。今読むと「わぁ、浅いな」と思ってしまうことも当時の自分にとってはすごく深かったと思うし、格好をつけないで書こうとしていたのに、それでもやっぱりちょっと格好つけているなという文章も、あのときの自分にとっては「ありのまま」だったと思います。ゆえにこの一冊はあのときの自分にしか書けなかったもの。それが愛おしくもあり、恥ずかしくもあるという存在です。 ――歩く、食べる、始める、料る、走る、叩く……と、本作は一編、一編のタイトルがすべて“動詞”というユニークな構成。そして動詞をタイトルにするということは「その本質を見据えなければならないことがたくさんあった」と刊行の際にお話しされていました。「本質を言語化する」というところに向き合った自分を振り返り、思われることとは? 上白石 動詞を軸に自分の内側を掘り下げようと挑んだエッセイで本質まで辿り着けたかどうかは今もわからないのですが、やってみようとしたことに意味があったと思っています。そのなかでは、何気ない日常のことだけでなく、自分の仕事のこと、「歌う」「演じる」などという動詞ともきちんと向き合わなくては、と思考が向いていきました。自分がそのことについて書くなんておこがましいという思いも過りましたが、当時の自分なりに「演じる」や「歌う」を深掘りし、言語化していって「これだ!」と思えるところに辿り着けたのではないかと思います。